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終わりの始まり

・「戦争法案」が参議院で可決された。委員会での審議、公聴会、そして本会議をテレビやネットで視聴して、やりとりのおもしろさを楽しんだが、強行採決に及んだ議事進行には腹も立ち、また呆れもした。この法案がアメリカの要請によるものであること、それを言いなりで法律化したこと、その中味が矛盾だらけなのに、安倍も中谷も,批判をはぐらかすことしか考えなかったこと、そして国民の大多数が反対したという世論を無視したことなど、おかしな点がいくつも露呈された。

・こんな法案が可決されてしまったことはもちろんだが、通すために取った方策の汚さも前例がないものだった。安倍首相は、法案の合憲性を判断する内閣法制長官の首をすげ替え、NHKの会長に自分の息のかかった柄の悪い人間を送り込んだ。新聞社や放送局を脅し、私的な諮問の集まりをまるで公的な機関であるかのように扱った。国会で審議をする前に,アメリカで法律の成立を約束した。これだけ無茶なことをやれば、法案の賛否にかかわらず、そのやり方自体に対する批判がもっと強く起こるべきだと思った。

・可決された「戦争法案」は憲法違反である。そのことを衆議院の公聴会で憲法学者が発言したが、政府は聞く耳を持とうとしなかった。それどころか、憲法をないがしろにする発言も相次いだ。学者が何を言うかといった態度だったが、最高裁判事や長官を経験した人たちの多くもまた,違憲であることを明言した。参議院の公聴会でもそのことが明確に述べられたが、それらを委員会で審議することもなく,強行採決された。公聴会が形式だけの意味のないものになっていることも明らかになったのである。

・この国の政治とそれを行う政治家のお粗末さは目を覆うばかりだが、国会議事堂の外では連日数万人の人たちが,法案の撤回を求めてデモをした。その主体は大学生が作った「SEALDs」で5月に登場して以来、日を追って目立つようになった。政治に無関心でデモはもちろん、発言することもない。そんな学生達にあきらめさえ感じてきたのだが、その大学生が長い眠りから目覚めたかのように発言し,行動を始めたことに,驚きと共に大きな希望も感じるようになった。

・来年の参議院選挙から選挙権が18歳に引き下げられる。政治に無関心な若者は選挙権を与えても棄権をするだろう。この改正にはそんな思惑もあったのだが、大学生だけでなく、高校生までデモに参加するようになった現状を見ると、若者の投票率は確実に上がるはずである。しかも与党批判の票になるだろう。まさに藪蛇で、「SEALDs」は「戦争法案」に賛成票を投じた議員を落選させる運動を継続させようとしている。

・「戦争法案」を成立させた安倍首相は,目先を変えて「一億総活躍社会」などという気味悪い政策を掲げた。「一億総白痴化」「一億総懺悔」などを思い出す嫌なキャッチフレーズだし、「国民総動員」なども連想をする恐ろしい考えだと思う。息をするように平気で嘘をつく人間に、まさかまた欺されることはないと思うが、ひょっとすると支持率が上がったりするのかもしれない。それはもうほんとうに「終わりの始まり」だが,若者達の政治に対する目覚めが、こんな流れ自体を「終わりの始まり」にするかもしれない。

・国政選挙があると必ずすべての選挙区に候補者を立ててきた共産党が、「戦争法案」を廃棄するために野党が選挙協力することを提案している。民主も維新も烏合の衆の集まりだから、選挙協力を実現させるのは簡単ではないが、世論が後押しをすれば、協力する方向に流れるだろうと思う。その意味で,今は、まさにどっちの「終わりの始まり」になるかの分かれ目にある。

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2015年09月28日 07:25に投稿されたエントリーのページです。

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