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コロナ後のライフスタイル

・コロナ汚染を鎮静化するためには、人びとの濃厚接触を避けなければならない。だから家から出ないようにというのが、緊急事態宣言の趣旨である。控えるように要請されたのは、満員電車に乗って仕事に行くこと、繁華街に出かけること、密閉空間でのイベントを中止すること、観光地に旅行などしないこと等々である。要するに、どうしても避けられない場合を除いて、家に留まるようにという要請である。仕事もできない、学校にも行けない、外食やレジャーを楽しむこともできない。ないない尽くしで既に数週間、そしてこれからも長期間、過ごさなければならないのである。

・要請には補償が伴う。当たり前の話だが、日本の政府は明確にしていない。不良品で調達先も怪しいアベノマスクや、PCR検査の異常なほどの少なさに見られるように、政府の対策はめちゃくちゃで、この先どうなるのか、不安というよりは恐怖感さえ持ってしまう。しかしそんな状況でも、考えてしまうのは、今回の騒動が一時的なもので、終息すれば以前と同じように復活して再開されるというのではないだろうということだ。

・パソコンとインターネットをつかえば、ある程度の仕事や勉強はできる。だから、毎日通勤通学しなくても、週に何日かは在宅で仕事や勉強をすればよい。そうすれば、移動の時間は減るから、交通機関や繁華街の人ごみは緩和される。週末や祝日に高速道路や観光地や娯楽の場が混雑することもない。自由に使える時間が増えることになるから、忙しさを理由に便利なものばかり求めていた発想が変わるようになる。外食や出来あいのものを買うのではなく、家で自分で作る。もちろんこれは衣食住のすべてに渡るようになる。要するに、ライフスタイルの大きな変化がもたらされるはずなのである。

・僕は自分の研究テーマとしてずっと「ライフスタイル」を掲げてきた。僕が最初に出した本は『ライフスタイルの社会学』(世界思想社、1982年)だったし、その後も『シンプルライフ』(筑摩書房、1988年)、そして『ライフスタイルとアイデンティティ』(世界思想社、2007年)と続けてきた。これらの中で一貫して主張してきたのは、仕事ではなく生活を中心に据えること、便利さを求めてお金で消費するのではなく、出来ることは自分でやってみること、性別に伴う既存の役割に疑いを持って変えていくことなどだった。残念ながら世の流れは、仕事や便利さを求める方向を加速させたし、男女の役割にも大きな変化は見られなかった。

・それでも、僕はマイノリティでもかまわないと思ってきたが、コロナ騒動は、僕が言ってきた「ライフスタイル」の変革を実現させるのではないかという可能性を感じさせる。もちろん、主に都会で成立していた多くの仕事は失われるだろう。しかしそれは、地方へのUターンを加速させて、農業や漁業、あるいは林業を活性化させる可能性に繋がる。何しろ日本の食料自給率は減少する一方で、従事者の多くは高齢者なのである。

・世界中でロックダウンが行われて、空気や水の汚染が著しく改善されたようだ。これを機会に、地球の温暖化を阻止することについて、もっと本格的に取り組む機運が強まることも期待したい。そもそもウィルス騒ぎの原因は、森林を伐採して道路をつくり、農場や工場を造ったことにある。動物の世界を狭めて、人間との接触が起きれば、動物の世界で留まっていたウィルスが人に感染することは避けられない。環境破壊や汚染と、ウィルスの流行は強く繋がっているのである。現実には、もう手遅れかもしれないといった危機感を持って、見直す時に来ているとしたら、ウィルスは強烈な警鐘だと言えるかもしれない。

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2020年05月04日 07:09に投稿されたエントリーのページです。

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