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「原子力村」から「五輪村」まで

・国内の世論はもちろん、世界中から中止せよと言われているのに、オリンピックは強行開催されるようだ。そのために東京都などに出ていた「緊急事態宣言」が解除され「蔓延防止等重点措置」に変わった。そうまでしてなぜ、オリンピックを開催したいのか。その理由が全くわからないが、一度始めたことはやめられないという、日本の権力組織が繰り返す愚行の一つだと思えば、それなりに納得がいく。

・一度始めたらやめられない理由としてよく指摘されるのは、日本の集団や組織に共通して見られる「村」という特徴である。「村」とは日本に伝統的にあった「有力者を中心に厳しい秩序を保ち、しきたりを守りながら、よそ者を受け入れようとしない排他的な社会」で、現在でも「同類が集まって序列をつくり、頂点に立つ者の指示や判断に従って行動したり、利益の分配を図ったりするような閉鎖的な組織・社会」として、よく見受けられるものである。

・福島の原発事故から10年過ぎてもなお、原発を電源の基本に据えようとするのが「原発村」の政策である。古今未曾有の大惨事を起こしながら、なおやめようとしない体質は、第二次世界大戦に突き進み、原爆を投下されるまで負けを認めなかった愚行のくり返しそのものである。そしてこの「村」体質は、「五輪」にも共通している。

・五輪を強行すればコロナの感染者や死亡者が増えることは分かりきっている。その規模がこれまで以上のものになるのはもちろん、日本発のコロナ株となって世界中に広まる危険性も指摘されている。しかし、そうならないための対策はお粗末で、ただ「安全・安心」と呪文のように繰り返すだけである。菅首相はG7で各国首脳からの支持を得たと言ったが、その多くは、おそらく、開会式にやって来ないだろう。

・危険であることや、行動制限が厳しいことを嫌って、多くの選手が参加をやめると予測される。それで無観客ではあまりにお粗末と思っているのか、日本人の観客を入れ、地味な種目には小中学生の動員も考えているようだ。参加する各国選手には、夏の猛暑や多湿に慣れる時間もないから、日本人のメダル・ラッシュになると言う人もいる。何しろ観客も日本人だけなのである。

・それで国中が熱狂すれば、感染者や死者が増えても、選挙に勝てるようになる。そのためにはオリンピック終了と同時にパラリンピックを中止にして、衆議院を解散して選挙に突入する。政権の本心がこんなことにあるとすれば、あまりに利己的だが、政権自体もまた「村」組織なのだから、十分ありそうなことである。それを批判すべきメディアもまた、村社会なのだから救いようがない。

・とは言え、オリンピックの開会までにはまだ1ヶ月ある。その間に感染者が増えはじめて、中止の声が国の内外から起こったらどうするのか。始めたけれども途中でやめる。一番やってはいけないが、また一番ありそうなこと。その時「政権村」や「マスコミ村」はどんな対応をとるのだろうか。

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2021年06月21日 05:52に投稿されたエントリーのページです。

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