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正月の過ごし方

forest89-1.jpgg・お正月はここ数年、同じスケジュールで過ごしている。大晦日は、相模原にある義母の墓参りをして、実家に行き、僕の両親と年越しをして、元旦に河口湖に戻るのである。そして、二人の息子が訪ねてきて、親子水入らずで1日を過ごすのだが、今年は長男のパートーナーの他に、次男のフィアンセが加わった。6人というのは初めてで、手巻き寿司を食べながら飲んで、にぎやかに過ごした。
・我が家のおせちはほとんど手作りで、特に栗きんとんはサイクリングの途中で見つけた栗だけでつくったものである。渋皮を完全に取っていないから色も悪いし、少しだけ渋みもある。しかし、混じりっけなしの栗きんとんは、みんなに大好評だった。僕が作ったのはもうひとつ、伊達巻きで、これも甘さは極力控えたものにした。パートナーが作った生ハムを入れたなますと、ストーブでじっくり煮込んだ黒豆。おせちは何万円も出して買うものではなく、自分で作る過程を楽しむためのものなのである。

forest89-2.jpg ・4日から5日にかけては、院生たちがやってきた。上海育ちの留学生には、何と言っても富士山が珍しい。何しろ、日本にやってくる中国人が一番行きたいところなのである。薪割りをちょっと試し、陶芸体験をやり、湖まで散歩などをして楽しんだ。
・僕は留学生をたくさん受け持ってきてはいない。しかし、遊び生きた留学生には、今までの人たちとはあきらかに違う印象を持った。つまり、日本人の学生とあまり違わないということだが、これは都会の中産階級育ちであることが大きな理由なのだと思う。ファッションに敏感で、洋楽にも詳しいし、何より清潔感を心がけて、いつでもこざっぱりとしている。中国の急速な経済成長がこんな所に如実に感じられて、改めて、へーっと納得した。

・もっとも、中国のそんな変容が、都市部のエリート層に限られたものでしかないことも明らかだ。GDPで日本を抜いたと言っても、人口が十倍もあるのだから、国民一人あたりにしたら十分の一でしかないのである。中国の成長がますます加速するのは明らかだが、また、それにともなうさまざまな格差が顕在化して、大きな問題になることもまちがいないのではないか。二人の留学生も、国の外に出て、自分の国の姿を改めて見直すことが多くなったようだ。

・僕はこのホームページを15年出し続けてきた。ほぼ途切れなく、毎週一回更新をし、その一年分を、インターネットを使わない知人や友人のために、冊子にして送り続けている。毎週一回でも一年では52週になるから、一回を見開き2頁で印刷すると100頁を越えるものになる。冬休みに入ると、その冊子の編集をはじめ、印刷と製本をして完成させるまでにおよそ一週間ほどの時間を費やすことになる。今年は50部ほどを印刷して、2日から3日にかけて発送をした。年賀状よりはるかに手間暇のかかる作業だが、ホームページをやめないかぎりは続けようと思っている。

・来週、ある学会の研究会で話をすることになっている。テーマは「レジャー」だが、休みの間、暇を見つけてあれこれ考えて、商品化したものから何かを選択するのではなく、そうでないものを自分なりにどう見つけるかという発想の大事さと、さらに言えば、何か意味や意義を見つけてというのではなく、意味も意義もないことに充実した時間を使う必要について話そうと思うようになった。木を切って割って薪を作り、それを干して、ストーブで燃やして暖を取る。その過程の中に感じる充実感をどう説明するか。この数日は、そんなことに多くの時間を費やしてきた。
・で、今週からは受講者数の多い二つの講義の試験があって、数百枚の答案を必死になって採点する作業が待っている。

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2011年01月12日 21:49に投稿されたエントリーのページです。

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