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Do it yourself !

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・面倒くさがりに田舎暮らしはできない。もちろん、10年以上田舎で暮らした自らの経験から言えることだが、周囲を見渡しても、面倒なことにあえて挑戦する人が少なくない。畑を借りて野菜作りに励む人、冬を除いて花の絶えない庭を造る人、もちろん僕も、家のペンキ塗りやベランダの補修、そしてストーブの薪割など、年間を通してやらなければならないことにせっせと励んでいる。しかし、上には上がいるものだと感心する人が隣にやってきた。

・我が家は20年以上前のバブルの絶頂期に造成された別荘地にある。ログや煉瓦など思い思いに造られた家が並んでいるが、造成されずにそのままに放置され続けている場所も少なくない。我が家の隣地も二区画ほど手つかずのままだったから、窓からは鬱蒼とした林を眺めることができた。その隣地の一つおいた区画の木が突然伐採されたのは一昨年の暮れのことだった。森の生活もこれで終わりかと思うほどがっかりしたが、しょせんは他人の土地なのだから仕方がないと納得した。

・どんな家を建てるつもりなのか、土地の持ち主に話を聞くと、ログハウスの組み立てキットを買って、自分一人で建てるつもりなのだという。定年退職して近くに家を買ったのだが、孫たちが遊びに来たときのために小さな家を作るということだった。話を聞いたときは、「へー、おもしろそー」と思っただけだったのだが、整地から基礎作り、そしてキットを一つ一つ組み立てながら作っていく様子を眺めていて、その面倒でしんどい作業を少しずつやっていく様子には、ただただ感心するばかりだった。

・現在の高度な消費社会では、自分ではできないこと、面倒を省きたいことの多くが、お金を払うことで代行してもらえるようになっている。食事を自分では全く作らなくても、掃除や洗濯をしなくても、生活する上で困ることは何もない。一方で、そんな世界が実現しているのだが、他方で、人には頼らず自分でやりたいことについても、それを可能にしてくれるよう、多様なものが商品化されている。目の前で組み立てられていくログハウスのキットは、その最たるものだと、改めて納得した。

・高齢の両親がいよいよ二人では生活が難しくなって、都内の介護付き老人ホームを探し始めている。見学して改めて思ったのは、お金さえ払えば、人生の最後は生活の面倒をすべて引き受けてくれるところで過ごすことができるのだという実感だった。核家族化が進んで、子どもや孫と同居する老人の数はどんどん減っている。だから、終の棲家となるはずだった我が家を処分して、最後は老人ホームのお世話になる。そんな人たちが暮らす老人ホームは、今どんどん作られていて、しかも互いにサービスを競うような状況になっている。

・僕はできることは何でも自分でやってみたいと思って、現在の場所に引っ越してきた。ツリーハウスを作ってみたいとか、書庫と作業場にする簡単なガレージを作りたいとか思っているが、反対に、いつまで薪を割ることができるのか、大工仕事やペンキ塗り、そして車の運転はいつまでできるのだろうか、といったことも、最近身近なこととして考えるようになった。で、最後は老人ホームということになるのなら、ここではなくて、もっと別な場所でもいいのでは、などと妙に将来のことを考えるようになった。

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2012年05月14日 06:26に投稿されたエントリーのページです。

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