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病にも負けず

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forest159-2.jpg・アメリカから帰って1ヶ月。今年の梅雨ははっきりしていて、ほとんど雨ばかりだ。だから、自転車も庭仕事も、合間の晴れを見つけてやっている。ところが今年の梅雨は変則で、西日本が梅雨入りしたのは10日ほど前だった。水不足がニュースになったが、梅雨入りと同時に集中豪雨に見舞われている。異常が日常になってしまったから、観測史上初めてなんて言われても驚かなくなった。雨ばかりなのに河口湖の水位が下がっている。浮島が地続きになって六角堂に歩いて行けるようになった。珍しいことではないし、観光客には好都合だが、漁業やボートレースに支障が出るらしい。雨不足ではなく、水量調整の失敗なのだと思う。

・京都から従兄弟のMさんが車でやってきた。ぼくと同じ70歳だが、去年の冬に急性白血病を発症して、余命半年と言われた。しかし、抗がん剤治療が功を奏して、自宅で療養生活をしている。最初に週二回行っていた輸血も、現在では三週間に一回に減ったようだ。少し元気になったからと河口湖に来て二泊し、東京や栃木まで足を伸ばす車旅行をした。

・予報は雨だったが降っていなかったので、富士山を眺望する秘密の場所に出かけた。ぼくはここからの富士山が一番好きだ。御坂山塊にあって、尾根のすぐ下まで車で行ける。100米ほど登るだけだからたいしたことないだろうと思ったのだが、彼は登り初めてすぐ躓いて、杖を突きながら何度も休まねばならなかった。長い入院生活と免疫力の低下で人混みに出かけることを制限されているから、筋肉が衰えていて、赤血球が足りないからすぐに息が上がってしまうのだった。それでもがんばって尾根まで登り、展望台に立って富士山や眼下の河口湖を眺めた。もっと体力をつけなければと、つくづく感じたようだった。彼は翌日僕の両親が住む老人ホームに出かけた。

・実は急性白血病に罹った人が身近にもう一人いる。大学院でぼくの研究室にいたK君で、横浜で福祉の仕事をしているのだが、フェイスブックに突然、入院中だというメッセージが載って驚いた。最初は病名をはっきりさせなかったが、Mさんのケースとよく似ていることがすぐにわかった。3月に緊急入院して1ヶ月半ほど抗がん剤治療をして一時退院し、再入院して骨髄移植を行い、無事成功して回復に向かっているようだ。ドナーは妹さんだと言う。

・医学の進歩の早さには今さらながら驚く。不治の病と言われた白血病が、骨髄移植で健康な身体に回復する。K君の場合には発症から移植手術まで3ヶ月で、そこから2週間ほどで移植した細胞が生着して、白血球数が回復した。退院して日常生活に戻るまでにはまだかなりの日数がかかるだろうが、信じられないほどの速さだと思う。しかし、Mさんの場合では、移植手術にはかなりの体力が必要で、70歳にもなると身体が耐えられないからと勧められなかったようだ。白血病と言えば、水泳選手が話題になった。公表したのが2月だったからK君より早かったのだが、未だに骨髄移植をしたというニュースははない。移植ができないケースなのかもしれない。

・白血病はうつる病気ではない。その因子をもっていて、いつ発症するかは遺伝子の中に埋め込まれているのかもしれない。あるいは過労やストレスなどが原因で発症するのだろうか。Mさんは高齢の母親を長い間介護してきた。夜はトイレにつきあうので1時間半おきに起きていたそうだ。その叔母は、彼の入院によって別の病院に入院して数ヶ月ほどで亡くなった。元気だったらもっと長生きできたのにと彼は悔やんだが、彼の体力も限界だったのだと思う。まだまだいろいろやりたいことがあって、生きることに積極的だから、治療に専念し、体力をつけることに心がけてほしい。もう少し近くに住んでいたら、手助けできることもあるのだが、残念ながら、京都はちょっと遠い。

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2019年07月08日 04:55に投稿されたエントリーのページです。

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