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鶴見俊輔『期待と回想』上下(晶文社)

kitai1.jpeg・鶴見俊輔は17歳でハーバード大学に入学し、20歳で卒業している。太平洋戦争が始まって投獄され、日本に強制送還されたから、実質的には2年半、その間に、ウィリアム・ジェームズやパース、G.H.ミード、そしてJ.デューイを読み込んでいる。シンガポールでの戦争経験の後、27歳で京大の助教授になった。プラグマティズム、転向研究、そしてさまざまな大衆文化論、そして『思想の科学』の編集とベ平連。
・ぼくにとってはもう30年ほど、とにかく、すごい人、偉い人、それに何より信頼できる人としてありつづけてきた。そんな鶴見さんが、インタビューを受ける形で、自伝的な本を出した。この本は改めて、彼の思考のスタイルとその発想の原点を垣間みさせてくれる。
kitai2.jpeg・彼の父は鶴見祐輔、母方の祖父は後藤新平。その「日本の上位1%」の家系の中で育ったという生い立ちが彼の発想の原点にはある。もちろん、その後ろめたさを自覚するのはある程度成長してからだが、しつけの厳しい母親との関係が彼の性格や思考に与えた影響は恐ろしく大きかったようだ。「何でもかんでも叱ったね。わたしの存在自体が気にくわない。しかもそれは過剰な愛のためなんだ。」
 そんな、行き場のない気持ちの向けどころはフィクションの世界だった。彼は3、4歳の頃から本を読み始めるが、その大半はエロ本だと言う。「和田邦坊の『女可愛や』や宮尾しげをの『軽飛軽助』は女を裸にするところがあって、『いやあ、いいなあ』と感激したのを覚えていますよ。」
・飛び抜けた秀才がなぜ漫才やマンガにあれほど肩入れをするんだろう。ぼくは正直言って今一つしっくりしない疑問のようなものを持ち続けてきた。実際大衆文化の研究家には、自分の本当の趣味はもっと高尚なものに向けられているといった人たちが少なくない。けれども、この本を読んでいるうちに、そんな疑問がすっきり解消したような気分になった。彼にとってマンガや大衆文学は、何より自分が自分でいられる場をかろうじて提供してくれるものとしてあったのである。
・権威や権力、原理原則、体系だった思想、純粋で高級な文化。鶴見俊輔にはこのようなものに危うさ、胡散臭さを感じとる姿勢が貫かれている。彼はそのようなものの対極にあって希望の託せる存在として大衆やその文化に期待する。「無関心に依拠して戦う。それがわたしの望みなんですね。『がきデカ』に期待する、というのはそういう意味なんですよ。」
・もちろん彼は、自分が大衆そのものだなどと思っているわけではない。「私のポジションは、サンチョ・パンサに憧れるドン・キホーテだったと思う。ドン・キホーテそのものでもない。またサンチョ・パンサそのものでもない。ドン・キホーテから学ぶサンチョ・パンサでもないんだ。」
・鶴見は吉本隆明とは違って知識人と大衆とをまったく異なる存在としてはとらえない。「私は連続体として考える。そういうふうに切れないというのが私の考えです。知識人は大衆と相互乗り入れをしている。」ぼくは鶴見俊輔を、そのことを身をもって感じとり、一つの思想に仕立て上げた人だと思うが、この本は、そのことをつくづくと実感させてくれるような気がした。 (1998-01-05)

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1998年01月05日 10:43に投稿されたエントリーのページです。

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