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見田宗介『現代社会はどこに向かうか』(岩波新書)

mita.jpg・見田宗介はぼくにとって、学生時代から重要な人だった。真木悠介という名前で書いたものも含めて、ほとんどのものを読んできた。当然、ぼくがこれまでに考えたことや書いたものの中に、大きく影響したと思う。ところが、すでに80歳を超えているのに、『現代社会はどこに向かうか』というタイトルの新刊本が出た。退職と同時に研究者も「やめた!」と宣言したぼくとは違って、彼は生涯研究者であり続けている。まったく頭が下がる思いでこの本を読んだ。

・現代社会は一体、どこに向かおうとしているのか。最近の世界や日本の情勢からして、ぼくには悲観的なイメージしか浮かばない。しかし本書は違っている。この本によれば、現代は古代ギリシャから始まった巨大な曲がり角に変わる、第二の曲がり角にさしかかった時代である。第一の曲がり角以降二千数百年に渡って展開されてきたのは「貨幣経済」と「都市の原理」である。

貨幣経済と都市の原理と、合理化され普遍化された精神の力をもって、人間は地の果てまでも自然を征服し、増殖と繁栄の限りを尽くしこの惑星の環境容量と資源容量の限界にまで到達する。人間はどこかで方向を転換しなければ、環境という側面からも資源という側面からも、破滅が待っているだけである。(pp.ii-iii)

・社会学では「近代」を挟んで、それ以前を「前近代」、現代社会を「脱近代」として捉えるのが一般的だった。それが本書でははるかに長いレンジで捉えられている。それだけ、人類にとって現代が、大きな変化に遭遇した時代だという認識なのだと思う。その二千数百年ぶりに訪れた曲がり角の違いは、一言で言えば、世界の「無限」から「有限」への変化である。

・「世界」が有限であることがわかった人類は、未来をどう描いて実践していくべきなのだろうか。高度に産業化した社会はもうこれ以上の成長が望めないし、また望む必要もなくなっている。すでに高原に辿り着いた人間は、それを停滞として捉えるのではなく、競争ではなく交響、自然の開発ではなく交感を軸にした新しい社会を創造しなければならない。なるほど、そうだなと思った。有限な資源を使い尽くす前に、循環・再生型に変換しなければならないことは自明の理だし、環境問題についても、温暖化を食い止めることは喫緊の課題になっている。しかし政府は相変わらず経済成長の必要性を主張するし、利益や富を巡る争いはグローバルな規模で熾烈だ。

・競争ではなく交響、自然の開発ではなく交感。この可能性を著者は日本とヨーロッパ、そしてアメリカの青年達に特徴的な意識変化の中に見ている。さまざまな統計資料をもとにしながら注目するのは、「幸福度の増進」と「脱物質主義」、「寛容と他者の尊重」、そして「共存としての仕事」である。確かにこのような傾向は、最近の若者に見られるものである。しかしそれが、世界の政治や経済を動かす大きな力になるには、一体どれほどの時間がかかるのかと思うし、大きなうねりを起こす主役になるはずの若者はどこもおとなしい。

・他方で、グローバリズムの反動や、ヨーロッパやアメリカに押し寄せる移民などに対する内向きの動きなどが、国家主義的思想を強め、独裁的な指導者を支持する傾向にある。LGBTや障害者について改善されてきた人権意識にも、それを逆方向に戻そうとする動きもある。社会が大きく分断されて、互いの諍いが激しさを増してもいる。トランプ、習、プーチン、エルドアン、そして安部といったリーダーは、このような傾向を煽るだけである。

・もっとも「第二の曲がり角」は始まったばかりである。おそらくその流れが見えてくるのに数十年、数百年かかるのだろうし、実現するのは千年先かも知れない。その前に人類が絶滅してしまうことにリアリティを感じてしまうが、あるべき姿はこうだという「理想」は、捨ててはいけないと思う。

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2018年10月29日 07:29に投稿されたエントリーのページです。

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