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Bob Dylan "Modern Times"

dylan9.jpg ・ディランのあたらしいアルバムは「モダン・タイムズ」という。チャップリンの映画と同じで古くさい感じがするが、収録された曲にも昔懐かしいブルースやカントリーやジャズの雰囲気がある。マディ・ウォーターズ、ハンク・ウィリアムズ、そしてジョニー・キャッシュとのジャムセッションという感じで、いかにも楽しそうだ。いうまでもなく、みんな、この世にはいない人たちばかりだ。

・それは、ポピュラー音楽として近代化されるきっかけになった音楽の再現といってもいいかもしれない。スーパースターがこれ見よがしにじぶんを印象づけようとするのではなく、顔見知りのストリート・ミュージシャンが集まってジャム・セッションをやる。そんなサウンドに仕上がっている。だからだろうか、ディランは録音技術に文句をつけて、スタジオで聴いたサウンドがCDでは再現されていないと批判している。ディランがこのアルバムに盛り込みたいものは、ディジタル録音では漏れてしまう。おそらく、そう言いたかったのだろうと思う。

・インタビューでは続けて、「不法なダウンロードをして、ただで音楽を手に入れる風潮に音楽産業が手を焼いているが?」という問いかけに「なぜだめなんだ?どうせ価値のないものじゃないか」と答える部分がある。日本では、ここが「最近のミュージシャンの作る音楽にろくなものはない」といったニュアンスで伝えられたが、インタビューを読むと、ディランはディジタル化の批判しているだけのようにも読み取れる。「スタジオの方が10倍もよかった。CD には何の価値もない。」

・たしかに、録音時の熱気とか高揚感といったものが記録されなければ、のびたラーメンのようなものなのかもしれないと思う。けれども、聴いていてひどいとは感じない。アナログのレコードならば、それが盛り込めるのだろうか。残念ながら、ぼくには、そんな微妙な差異はよくわからない。

夜、神秘な庭を歩いていると
傷ついた花がつるから垂れ下がっていた
向こうの冷たい透明な泉を通り過ぎたとき
だれかが背中をたたいた
しゃべるな、ただ歩け
この疲れ果てた悲しみの世界でも
心が燃え、願い続けるようなことがある
それはまだだれも知らないこと
(Ain't talikin')

・"Festival Express"というドキュメント映画をWowowで見た。1970年にカナダのトロントからカルガリーまで、列車をチャーターしておこなったコンサート・ツアーで、ジャニス・ジョプリンやザ・バンド、あるいはグレイトフル・デッドが出演している。コンサートそのものより、列車内でのセッションが中心で、まるでお祭り騒ぎの盛り上がりだが、コンサート会場での入場券を巡る客と主催者のやりとりもおもしろかった。

・どの会場でも、主催者やミュージシャンたちはフリーのコンサートにしろと抗議して押しかける人たちに詰め寄られる。その理由は、共感して、自分にとって大事な曲、バンドだから、金など払わずに見る資格があるというものである。こういう発想は何とも懐かしいし、グレイトフル・デッドのガルシアが別の会場でフリーのセッションをやったりするのも、時代の空気を思いださせてくれる気がした。第一、このドキュメントの中心は列車での移動中にミュージシャンが集まって、寝る間も惜しんで歌い、演奏し続ける、その高揚感にある。ここでは、音楽は共感の道具であって商品ではまったくない。

・確かに、70年代の初めまでは、こういう雰囲気があったのだが、いまではすっかり忘れられている。その代わりに、ロックはいまでは何より商品で、有名なミュージシャンはメジャーのレコード会社と契約し、コンサートも巨額な費用と手間暇をかけることがあたりまえになっている。お金ではなく、気持ちで買う(評価する、共感する)。そんな側面は70年代以降急速に薄れ、何万枚売って何億ドル稼いだかがミュージシャンの価値評価の基準になった。

・いまでは、新しく生まれるものだけでなく、どんな古い音源もディジタル化されて売り出されている。ディランの新しいアルバムは3年ぶりだが、その間に出されたリメイク盤や海賊盤の本物盤は数知れないほどだ。そのほとんどを手にしているぼくからすれば、確かに、最近のミュージシャンの作る音楽やメッセージは、屁みたいなもので何の価値もないと言いたくもなる。けれども、ディランは何より、自分のつくってきた音楽が取っかえ引っかえして売り出されることに嫌気がさしているのかもしれない、とも思う。

・ たとえば街中で歌を歌い楽器を演奏する人たちを見かけることがよくある。ちょっと立ち止まって耳を傾け、手拍子をたたいたり、知ってる曲なら口ずさんだりもする。こういう場に参加するのにお金はかからないが、小銭をはらうことが礼儀となっている。フリー(ただ)だがシェア(共有)したのだから、それなりの代価を払う。それはコンピュータの世界にまだ残る、「フリーウエアー」と「シェアウェア」のソフトに共通する。そして、両者の根っこにある発想は同じものである。

・ ディランの"Modern Times"はそんなフリーとシェアの関係が作り出した音楽の再現をめざしているといえるだろうか。だとすれば、このCDが売れようと売れまいと、無断でダウン・ロードされようと、それはディランにとっては、どうでもいいということになる。音質は気に入らないかもしれないが、ディジタル化とネットは、音楽の伝わり方にフリーとシェアを再現させる可能性をもっている。それが音楽を商品以上のものにするのか、以下のものにするのか。音楽の世界を豊かにするのか貧しくするのか。それはミュージシャンと彼や彼女がつくる音楽と、それを受け止める聞き手の関係の再構築にかかっている。 (06/09/11)

コメント (1)

jerry:

久しぶりに、予約して日本盤で買ったCDでした。

内容は、前作の続編みたいな音ですね。個人的には、ダニエル・ラノアと組んだ2枚が好きです。最初に出たブートシリーズ、それはそれは感動しました。オリジナルを超えた素晴らしさを感じた意味のある作品ですね。

これを聴いて、プロデュースの失敗が見えてきました。
ディラン・・・恐るべし男です。

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2006年09月11日 16:54に投稿されたエントリーのページです。

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