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Wカップで気づいたこと

・サッカーのWカップは本当にワールドワイドな大会だと思う。春にやった野球のWBCがアメリカ大陸とアジアに限定されたローカルなスポーツ大会だったことを認識した後ではなおさら、そう思う。
・出場国はどこも2年間に及ぶ予選を勝ち抜いてきた。だから、どうしようもなく弱い国は一つもない。審判も世界中から厳選され、中立的な立場でゲームを管理できる人が担当する。当たり前の話だが、WBCはそうではなかったし、奇妙な判定が勝負を左右したことが何度もあった。アメリカ生まれのローカルなスポーツで、メジャー・リーグが現在でも頂点なのだから仕方がないといえばそれまでだが、世界大会を本気で考えるのなら、見直すべき点があまりにたくさんある。Wカップを見ていて、何よりそのことを感じた。しかし、である。
・Wカップに参加するチームはどこも勝つことを第一の目標にしていて、それぞれ、できる限りの支援をしてきている。けれども、それぞれのチームを支える国の状況は、また、あまりに違いすぎる。それはとても、公平な条件でやっているとはいえないものである。
・たとえば、アフリカから参加したチームには、その報奨金をめぐって選手やコーチに不満がくすぶって、試合をボイコットするといった問題が生じた。これは前回の日韓大会でもあったことで、国が極貧状態にあったり政情不安だったりすることが原因である。しかも、選手の多くはヨーロッパのプロ・リーグで活躍していて、母国に帰ることはほとんどないし、そもそもヨーロッパ生まれだったりもするようだ。監督や選手の要求する金額は国の財政からすれば法外なものだろうから、工面するのも大変なことだろうと思う。
・今回参加したアフリカの国は、トーゴ、ガーナ、アンゴラ、コートジボアール、そしてチュニジアの5カ国だが、どこもヨーロッパの植民地だった歴史がある。地図でそれぞれの国を調べると、トーゴ、ガーナ、それにコートジボアールは隣国で象牙海岸と呼ばれたところに位置している。
・奴隷貿易が盛んでカカオや穀物のプランテーションがつくられ、象牙や金などもとれて、ヨーロッパを潤わしたところだが、その代わりに貧しい生活と政情の不安がもたらされた。イギリスやフランスなどから60年代にあいついで独立したが、その後の政情はどこも不安定で、クーデターが何度も起きている。たとえばアンゴラは75年にポルトガルから独立した後、アメリカとソ連をそれぞれ後ろ盾にした勢力が激しい内戦を繰り返した。で現在のGDPはどこも世界で100位前後で最貧国と呼ばれる位置にいる。
・同様のことは中南米から参加する国にもいえる。ブラジルがポルトガル、トリニダードトバゴがイギリスで、ほかのアルゼンチン、パラグアイ、コスタリカ、エクアドル、そしてメキシコはスペインの植民地だった。その多くは19世紀の前半には独立しているが、アフリカほどではないにしても政情は不安で経済は破綻しているところが少なくない。
・ブラジルは経済的には比較的裕福だが、スター選手の多くは黒人で、極貧生活のなかで育った人が多い。彼らは奴隷貿易の時代にコーヒーや砂糖のプランテーションで働かすためにつれてこられた人々の子孫である。拉致され強制連行されてきた人は、カリブ海から中米、そしてもちろんアメリカ合衆国にも数多くいて、その大半は現在でも貧しい生活状況にある。ちなみに、トリニダードトバゴのGDPは世界126位でアンゴラの103位よりも低いし、コスタリカは82位だ。
・このような国々でサッカーが盛んなのは、もちろん、植民地支配をした国の影響である。だから、サッカーが文字通りの世界大のスポーツであることは、世界中のほとんどがヨーロッパの大国に支配された歴史を持つことを意味している。そして、宗主国の子孫ではない人たちにとって、サッカーやその他のプロスポーツが経済的な豊かさや社会的な地位を得る数少ない道の一つであることも共通している。同じ可能性を持っているのが音楽だが、それもまた、ヨーロッパから持ち込まれた楽器や音楽が、土着のものや奴隷によって伝えられたものと融合して生まれたものである。
・国情や国力の違いは他にもある。日本と対戦したクロアチアはユーゴスビアから凄惨な内線をへて独立した国である。人口は400万人で、 GDPは世界72位。一人当たりのGDPは12,000ドルで、日本とくらべて3分の1強、人口は30分の1である。もっとも旧ユーゴで今回出場しているセルビア・モンテネグロは6月5日にさらに分離したが、セルビア単独では人口は1000万人に近いものの、一人当たりGDPは3200ドル(日本の約1割でトーゴの2倍)にすぎない。
・こんなことに気づくと、試合を見ていて応援したくなるのは、どうしても、ヨーロッパの強国以外になってしまう。このような歴史や現状が反映して、試合以上に盛り上がるスタンドや自国での応援の熱の入れ方のすごさに圧倒されてしまう。「がんばれ、にっぽん」とはいっても、どこかにわか騒ぎで、せいぜい「感動をありがとう」程度で終わる日本の応援とは決定的に違う何かがある。
・日本はテレビの放映権に140億円もだしたそうだ。しかも、視聴率をあげるために日中の試合を2試合も組んだ。テレビは「がんばれ日本」を煽っておきながら、勝負よりは視聴率を重視したということになる。メディアは何よりビジネス大事。そのことは、もっと問題にしてもいいことだと思うが、さして話題にならないのは、勝敗より見やすい時間のほうがいいと考えた人が多かったということなのだろうか。

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2006年06月26日 10:23に投稿されたエントリーのページです。

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