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再録「キャンパスブログ」(朝日新聞多摩版)

その2・学生と個性

・ コミュニケーション学部は通称「コミ部」という。学生だけでなく、教授会でも通用しているが、ぼくはあまり好きではない。一度ゼミの学生から「なぜ?」と質問されたことがある。「『混(こ)み部』のようだし『ゴミ部』とも聞こえるから」と答えると、「でも、みんなふつうに言ってますよ」と返ってきた。そう、最近の学生たちは「みんな」「ふつう」が好きなのだ。みんなと一緒だと、何となく安心して落ち着ける。だから空気を読むことが大事なんだとつくづく感じさせられてしまう。

・ 学部のゼミは決して「混み部」ではない。10人前後が平均で、多い時でも15名ほどだから、少人数でじっくり勉強できる環境にある。ところが、みんながふつうを心がけるから、考えや感覚が違っても、それを巡って活発な議論が展開されたりはしない。一方では、彼や彼女たちは外見的な個性にはひどく気をつかう。髪の毛から履いている靴まで、そのこだわりは一目でわかる。そんな個性的であることへの関心が、なぜか、内面では抑えられてしまう。
・ 一番の理由は、対話や議論は訓練が必要なコミュニケーションの技術なのに、小学校から高校まで、ほとんど何もしてこなかったことにある。だから、じぶんらしい発言をしたいけど、意見の違いが人間関係を壊してしまうのではと感じてしまうのである。もう一つは、やっぱり「みんなふつう」からはずれることへの恐怖感。ゼミ生からこの垣根を取り去るのは簡単なことではない。

・ぼくは、「個性的な文章を書こうよ」で説得を始めることにしている。独りよがりじゃなく、人におもしろいとか、なるほどと評価される文章は、学生の多くも書きたいと思っている。そして学生たちは、この点でも、大学に来るまで十分な訓練を受けていない。ぼくがゼミ生に何度も出すのは、文章でスケッチするという課題だ。絵を描く人には常識だし、楽器を弾くためにだって、基本練習は欠かせない。じぶんの目でよく観察し、耳で、あるいは皮膚でよく感じとる。そしてじぶんの頭で考え、わからないことがあれば調べる。そうすれば、おのずとじぶんらしい個性的な文章が書けるようになる。

・「みんなふつう」のつまらなさは、学生たちも十分に自覚している。とは言えやっぱり、ふだんの人間関係では、個性的であることを抑えなければならない場合がかなりある。 「先生の個性は、社会に出たら通用しませんよ」。学生からのなかなか鋭い指摘である。

2008年03月24日掲載

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2008年09月08日 07:31に投稿されたエントリーのページです。

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