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再録「キャンパスブログ」(朝日新聞多摩版)

その3・消費する文化

・ 東京経済大学はその名の通り、経済学部だけの単科大学から始まった。開学は1949年だが、もともとは、1900(明治33)年に「大倉商業学校」として開校されている。コミュニケーション学部は、短大や夜間部の廃止に伴って開設された。「メディア社会」「企業コミュニケーション」「ネットワークコミュニケーション」、そして「人間・文化」の四つの専攻があり、ぼくは「人間・文化」に所属している。

・現代文化の最大の特徴は、それが商品として消費されるものだという点にある。衣食住のすべてにわたって、一からじぶんで作るのではなく、お金で品物として購入する。そんな生活スタイルは、20世紀後半から始まったものだから、その年月を生きてきた人ならば誰でも、次々と変容する有り様を具体的に記憶しているはずである。当然、ぼくにも、そのような記憶があって、何でも買って済ますことに違和感をもつことが少なくない。ところが学生たちは、消費という生活スタイルに、全く抵抗感がない。だから講義は、現在の文化の形態が、わずか半世紀ほどの間にもたらされた新しいものであることから始めることになる。

・「消費」という生活スタイルは簡便さや即時性を追求する。コンビニやファストフードはその象徴だが、どちらも学生たちにとっては不可欠の場に感じられている。欲しいモノがいつでも、どこでも手にはいる。このような感覚は、もちろん、話したい時にはいつでも、どこでも、誰とでもとなるし、聴きたい音楽や、見たいテレビも、いつでも、どこでも、何でもということになる。それは一面では、豊かさを実感させる根拠になる。けれども、その弊害もまた少なくないはずである。買わずにじぶんで作ってみる。やってみる。そんな発想が失われたところでは、結局、消費は浪費に行き着くしかなくなってしまう。そんな傾向を憂慮して「待てない子ども」「学ばない生徒」「働かない若者」といった問題を指摘する人もいる。確かに、そうかもしれないと思う。

・ けれども、ぼくが学生たちに対してもっとも憂慮するのは、時間と空間を超えてやってくる豊富なモノや情報が、逆に歴史や地理に対する感覚を失わせているという点だ。今、聴いている音楽は、いつ誰によって、どんな影響を受け、どんな思いをこめて作られ、歌われたのか。それをじぶんで調べて知ったなら、次々と聴き捨てることなどできなくなる。講義でくりかえし力説していることである。


2008年03月31日掲載

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2008年09月09日 07:02に投稿されたエントリーのページです。

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