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続・悪夢の選択

・政治の世界はいつでも、しょうもないと思うしかないものだった。しかし、今はその中でも、とびきりしょうもないと感じる。その一番の対象は、東京都知事を突然辞めた石原慎太郎だ。もう老害としか言いようがないが、本人は若いやつがしっかりしていないから、自分がやるしかないと言い放った。

・なぜ彼は、都知事を辞めて国政に転身するのだろうか。もっともらしい理由はいろいろあるのだろうが、一番は息子が自民党の総裁になれなかったことにあるようだ。そもそもやる気がなかった4期目の都知事選に出たのも、自民党の幹事長だった息子に強く説得されたからだった。公私混同もはなはなだしいが、彼の罪はこんなものだけではない。

・尖閣諸島を国営化したことに対して中国で起こった反日デモのきっかけは、石原がアメリカでした「尖閣諸島を東京都が買う」という発言だった。多くの日系企業が暴徒化したデモ隊に荒らされ、略奪され、日本車が壊されたり、不買運動が起きた。その被害は尖閣諸島の購入費の比ではないし、日本と中国の関係をめちゃくちゃにした責任はきわめて重いとおもうが、彼には、そんなことに対する責任などを感じる気持ちはまるでないようだ。むしろ、ますます過激になって、戦争も辞さないと言ったりもしている。

・石原はまた、「一度の事故で原子力の活用を否定するのはひ弱なセンチメントに駆られた野蛮な行為」だという発言もしている。しかし彼は、ディーゼル・エンジンの排ガスとは違って、放射能の被害に対する認識がない、家を捨てて暮らしている人たちが見えていない、重厚長大な産業を基盤とするシステムからの脱却という未来が描けていない、人の住まない島々の所有権を主張して起こる問題や被害に考えが及ばない、そして何より、オリンピックの誘致もあわせて、ナショナリズムを煽ることによって自らの存在を誇示しようとする以外に能がない政治家なのである。80歳になったこんなひどい政治家をマスコミはなぜたいした批判もせずに野放しにしているのだろうか。

・他方で、政治の話題は橋下大阪市長を中心にした「日本維新の会」にばかり向けられている。こちらの方にはマスコミもその出自を取り上げて批判をして、逆に抗議を受けたりもしている。「維新八策」では「先進国をリードする脱原発依存体制の構築」をうたっているが、大飯原発の再稼働を容認したり、離党した国会議員を寄せ集めたり、いくつもの政党との連携を模索したりと、信用できない行動が目立ちすぎる。最悪の総裁選びをした自民党ともあわせて、こんな力が政権を取ったらどうなるのかと考えると、暗澹たる思いにとらわれてしまう。

・「3.11以降、世界は変わったのです。」京大助教の小出裕章さんがくり返し口にすることばだが、世の中の空気は「たいしたことではなかったことにしよう」という気持ちで充満している。幸か不幸か排気ガスと違って、放射能は目に見えないし臭いもない。ないことにするためにはきわめて好都合だが、それで危険がなくなるわけではない。そんな不安感や危機意識を持つ人たちのデモが数十万人にも増えたが、こと国政選挙については、それを争点にすることができないようだ。

・反原発の声は多数派なのに、それを受け止める政党がない。なぜ日本には「緑の党」ができないのか。いや正確には、あってもないに等しいほど目立たないのか。「反原発」で政策の一致した政党が「オリーブの木連合」を目指して動き出すといった話も全く聞こえてこない。このままでは「悪夢の選択」すらしようがなくなってしまう。

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2012年11月05日 08:31に投稿されたエントリーのページです。

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