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「知」に敬意を払わない人に

・大阪都構想が否決され、トランプが落選しました。嘘や脅しがまかり通る政治が、少しだけ、ましになるかもしれません。それにしても、「知」に敬意を払わない人たちが、これほど大手を振ってのさばる世界が、これまであったのでしょうか。息を吐くように嘘をついた安倍前首相に代わった菅首相も、早期に退陣して欲しいものだと思います。学術会議をめぐる問題は、言い訳のきかない暴挙なのですから。

・もっとも、「知」に敬意が払われなくなった傾向は、ずいぶん前から感じてきました。大学で学生と接していて、「知的好奇心」を示さなくなったと思い続けてきたからです。「この授業は、この本は、一体何の役に立つのか?」そんな疑問の声を聞いてびっくりしましたが、やがて学生の疑問は、「この講義は就職の役に立ちますか」になりました。リーマンショックの頃だったと思いますから、もう十年以上になります。

・今大学は就職予備校化していますが、そこで教えている多くの先生は、就職とは全く関係のない「知」の探究者です。専門は違えど、自分が疑問に感じたこと、わからないことを明らかにしたい。そのために、先行する研究書や論文を読み、調査や実験を重ね、実態を明らかにしたり、理論化することに時間とエネルギーを使う。それを主な仕事と考えています。そして、大学の講義やゼミは、そんな研究をもとに、学生たちにそれぞれ「知的好奇心」を自覚させて、自分なりのテーマをもって学ばせる場だったはずなのです。しかし、今はずいぶん違います。

・そんな学生たちの意識の変容は、大人たちを反映し、大人たちによって作り出されたものでしょう。「知」などは役に立たんし、金にもならん。そんなへ理屈をこねる道具や、それを使う人間は邪魔だから、消してしまえ。そんな風潮が蔓延してしまっているのです。学術会議に対する菅首相の対応は、その顕著な例でしょう。メンバーとして不適格だとして任命しなかった人たちについて、首相はその業績をほとんど知らないのです。ただ政権に批判的な奴らだからというのは、無知をさらけ出した無謀で無恥な行為です。彼はおそらく、ソクラテスの「無知の知」も知らないのだと思います。

・何の役に立つかわからない文学や哲学、あるいは人文科学などはなくていいし、政権の批判ばかりする社会科学も減らすべきだ。あるいは、自然科学だって、成果がすぐに出るものを重視すべきだ。文科省の中にこんな方針が見え隠れするのも確かです。維持費ばかりかかって役に立たない古い文化財は処分してもいい。それよりカジノやレジャー施設の方が金になる。地方自治体には、こんな政策を公言し、実施しているところも少なくありません。「維新」が支配する大阪府や大阪市は、その顕著な例でした。

・コロナ禍で活動できない芸術や文化に対する支援や補助も、微々たるものでしかありません。「ノー・アート、ノー・ライフ」。文化や芸術、そして知は、生きるための心の糧として、人びとにとって欠かせないものでしょう。しかし、「知」に敬意を払わない人には、そんな発想がないようです。そして「知」の軽視はまた、「民主主義」の無視にも繋がります。アメリカは、選挙結果を認めず法廷闘争に打って出ようとするトランプに厳しい目を向けることでしょう。バイデンとハリスの勝利演説を聞いて、壊れかけた民主主義を建て直すのは、やはり「知」の力だと思いました。

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2020年11月09日 06:24に投稿されたエントリーのページです。

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