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一人暮らし

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・パートナーが脳梗塞で入院し、リハビリ病院に転院してからずっと、一人暮らしが続いている。しかも今年度は国内研究だから、1月末からは一度しか大学に行っていない。病院に出かけたり、買い物をしたりする以外は、ほとんど家にいる。訪ねてきて泊まった人が数名いたが、誰とも話さずに一日を過ごす日も少なくなかった。

・一人暮らしは40年ぶりぐらいだが、その時だって、これほど一人でいたことはなかったから、まったく初めての経験だと言っていい。ひょっとしたら人生の最後は、こんなふうに一人暮らしになるかも。そう考えたら、これは予行演習なんだと思ったりもした。そんなことを入院中のパートナーと話したら、彼女は彼女で、老人ホームの体験をしてるみたいと言った。老人ホームに両親が健在で、そんなことなど考えもしなかったが、現実として目の前に突きつけられたような気になった。

・世の中では一人暮らしは孤独死や弧住、孤食だのと、やたらマイナス・イメージで語られる。しかし、実際にはそれほど寂しいものではないと思った。何より一人だと何でも自分でやらなければならないから、結構忙しい。買い物に出かけ、食べたいものを、一人で食べきれるよう考えて購入する。僕の家は外食には不便なところだから、今日、明日、明後日と、何日か先のメニューまで考えて買わなければならない。もっとも昼飯は僕が作っていて、1週間のメニューが決まっていた(そば、うどん、ラーメン、焼きそば、お好み焼き、チャーハンなど)し、朝はカスタードクリームと果物を入れた自家製ヨーグルトだけだから、何にしようか考えるのは夕飯だけだった。

・毎日の食事は大事だが、確かに今まで目の前にいた人がいなくなると、何となく味気ない。そこで考えたのが、食事時だけ病院とskypeでつなごうというものだった。調子が悪くてAppleのFacetimeにしたのだが、一緒に食べているようで、なかなかいい。今日は何を作るか張り合いもでる。あるいは、病院で必要なものを探すのに、iPadを持ち歩いて見つけたりもできる。便利なものができたものだと、つくづく感心した。終日監視されるのはかなわないが、時折、気の置けない人とこんなふうに会えるのなら一人暮らしも悪くないと思った。

・掃除や洗濯ももちろん、自分でやらなければならない。洗濯は入院しているパートナーの分もあって、普段より多いから週に2回はやらなければならない。我が家では、冬は洗濯物はリビングの上の吹き抜けに干す。ストーブの熱で数時間で乾くから、他の時期よりずっと楽だ。

・そのストーブの来冬用の薪を割るのも毎日の仕事だ。およそ1時間ほど汗を流すが、道が凍っているから自転車にはしばらく乗っていない。もうちょっと暖かくなったら、退院するパートナーのために、玄関口やバルコニーの階段に手すりもつけようと思っている。既製品ではなく木で手作りでと考えているが、ネットを探しても、なかなかいいものはない。

・最後に本業だが、しばらくは脳の本ばかり読んでいたが、編者として出版予定の本の校正がはじまった。学部の20周年記念の冊子の編集も頼まれていて、ぼちぼちと原稿が集まっている。博士論文の審査も頼まれているし、献本があって、そのレビューもやらなければならない。悠々自適ではなく、今日は何をやるか、やらねばならないかを確認しないと、やるべきことが山積みになってしまう。そうそう、確定申告もあった。

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2015年03月02日 06:41に投稿されたエントリーのページです。

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