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「ライフスタイルとアイデンティティ」内容紹介

あとがきから(一部抜粋)

・この本のタイトルにした「ライフスタイル」と「アイデンティティ」は、ぼくにとって、もっとも基本的なキイワードだと言っていい。ふりかえれば、最初から、この二つのことば軸にして、考え、行動してきた。

・50歳になり、21世紀をむかえるところで、勤務先を変え、住む場所を都会から田舎に移し、子どもたちとも別れて暮らすようにした。生活の仕方を大きく変えて、もう一度、じぶんで納得のいく「ライフスタイル」を実践してみたいと思ったからだ。その時に、世界思想社の中川大一さんから、「ライフスタイル論」の書き直しをリクエストされ、二つ返事で承諾した。

・最初は「中年文化論」的なものを考えた。現代の文化は圧倒的に若者中心で、中年や老人は、それに適応する気がなければ、じぶんの暮らしや生きがいを年齢や人生経験にそくして見つける機会がほとんどない。時を同じくして「団塊世代」が注目されるようになり、「団塊本」が多数出版されるようになった。しかし、その多くは、下の世代からの偏見に満ちた世代批判だったし、当の団塊世代には、青春時代にもどってノスタルジーをといった発想ばかりが目立った。そんな傾向にうんざりして、現実的な中年、あるいは老年のライフスタイルではなく、もう一回、歴史を遡って、「ライフスタイル」や「アイデンティティ」について考え直してみたいと思うようになった。

・そもそも田舎生活をはじめた理由には、H・D・ソローがした「森の生活」への憧れがあった。その『ウォールデン』を教科書にして、実際の生活ぶりを記録して、ホームページで公開をした。あるいは、W・モリスをきっかけにしたモノづくりへの関心から、木工や大工をはじめ、彼の著書も読みはじめた。そうするうちに「ライフスタイル」への関心が「ユートピア」への興味に繋がるようになった。以前から「ユートピア」論に興味があったわけではない。けれども、トマス・モアの『ユートピア』からはじめて、代表的なものをたどっていくと、それらが結局、あるべき生き方、生活の仕方、個人のあり方、人間関係の仕方について夢想し、模索したものであることに気がついた。

・いくつかの「ユートピア」にふれ、「ユートピア論」や「文明論」を読んで感じるのは、現在の日本人がする平均的な暮らしは、すでに実現されたユートピアなのだという思いである。けれども、一方で、それによって人びとが強く幸福だと感じているわけではないという現実がある。しかも、そのような「ライフスタイル」に憧れて、その実現にむけて邁進しようとしている人たちが、世界中には無数にいる。

・一人の人間が心地よく生きる。そのためにしなければならないこと、必要なもの、あるべき仕組みはどのようなものか。そんなことを考えれば考えるほど、現在の社会には、不要なもの、無用なもの、不条理なことが多すぎるといわざるをえない。ところがまた、現実には、そのようなものやことが人びとの生きる力の源泉にもなっている。わたしはだれで、どんな生き方をするのか。その問いかけは、実際、この本を書く過程のなかで明確になったわけではない。けれども、そういう問いかけに自覚的になることが、だれにとっても、今ほど必要とされる時代はなかったことはわかるのではないだろうか。

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2007年10月27日 13:43に投稿されたエントリーのページです。

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