教養とは"知的なサバイバル能力"だと思います。これから先、大きな挫折を味わったり、思いがけないトラブルに遭遇したりすることもあるでしょう。そんなとき、積み重ねられた「人類の英知」――過去どんな人物が、何を考え、どのように社会を形作ってきたか等――が最良の選択をしたり、気持ちを立て直したりする助けにきっとなるはずです。
全学共通教育センターでは、幅広い教養を学べる総合教育科目を多数開講しています。なかでも、全学部の2〜4年生対象の「総合教育演習」はゼミ形式で学ぶ貴重な機会。様々な知識を関連させて"知の網の目"を作り上げる面白さをぜひ味わってほしいと思います。
洋の東西を問わず、世界の民話や神話には多くの共通項があります。例えば、日本の古典である『お伽草子』の中の「鉢かづき」と、ヨーロッパのおとぎ話である「シンデレラ」は、継母にいじめられていた美しい娘が玉の輿にのる、というストーリーの基本構造がそっくりです。このような物語の構造を分析し類型化するのが、「物語論」のなかの一分野です。
実は、いま私たちが目にする映画やゲームは、こうした物語論的研究の成果を応用した"こうすれば人は感動する"というプロットのパターンを組み合わせて作られていることがよくあるのです。作り手の狙い通りに泣いたり笑ったりするのは構いませんが、「批評性」はきちんと持ちあわせていたいと思いませんか? というわけで今年度は、映画を題材に"感動の物語"を解析していきます。
まず、ゼミ生全員で映画を鑑賞します。その後、担当の班がその映画の「感動の構造」について、ストーリーラインやモチーフに着目して考察、発表します。さらに、質疑応答や議論を通して「人はなぜ、どのように感動するのか」「人間の感動とは何か」について、考えを深めていきます。最終的には全員に映画の批評文を書いてもらうつもりです。
数年前、夏目漱石の『坊っちゃん』を読んだ際も、大変面白い議論がありました。例えば、「坊っちゃんって中二病みたい」という指摘。孤高を装いつつも周囲の視線や評判を気にする姿がそう見えたとか(笑)。ほかにも、「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかり〜」という冒頭部分について、「『無鉄砲』ではなく『無根拠』と捉えるのでは」と発言した学生がいました。実は私も「無鉄砲」という表現については長年不思議に思っていたのです。学生の指摘通り、「合理的な思考を放棄した無根拠なさま」という意味で読むと、サーっと視界が広げていくようでした。今度はどんな驚きに出会えるのかと、毎週ワクワクしています。
図書館には「手触りとしての知」があります。本の重さ、匂い、ページを繰る感触、本に囲まれて考えをめぐらせる時間......。そんな五感を通して知と向き合う感覚を、自ら探究する快楽を、図書館という空間で体感してほしいと思います。東経大の4年間、教職員も図書館も大いに"使い倒して"、全力で楽しんでくださいね。
※掲載されている教員・学生の所属学部・職位・学年及び研究テーマ等は、取材当時のものです。