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大倉喜八郎

大倉喜八郎(おおくら・きはちろう)
1837年 (天保8年)~1928年 (昭和3年)
明治・大正時代の実業家。大倉財閥の創設者。

東京経済大学は、1900(明治33)年、明治・大正期の実業界の雄である大倉喜八郎により、当時の赤坂葵町(現在の東京・虎ノ門「ホテルオークラ」隣接地)に創立された大倉商業学校を前身としています。

以来、大倉高等商業学校(大倉高商)、大倉経済専門学校を経て、戦後、東京経済大学へと発展。

これまで100余年の歴史のなかで、経済界をはじめ、各界で活躍する人物を多数、送り出してきました。

これからも、激動する時代のうねりのなかで、世界を舞台に日本社会の担い手となる人材を育て、東京経済大学の豊かなネットワークを築き上げていくことをめざして、さらなる教育環境の充実に努めていきます。

明治31(1898)年、諸外国の商人と対等に競争できる若く有能な商業者を育てたいと考えた喜八郎は、大倉商業学校を計画。その屋敷跡の敷地に学校が建設されました。このことから赤坂葵町の「葵」は、本学をイメージさせるシンボルとなっていったのです。

赤坂葵町の校舎は、関東大震災の打撃からは再建を成し遂げたものの、空襲による焼失と戦後の財閥解体の打撃は大きく、学校再建のために現在の国分寺市南町へと移転することになりました。それでも赤坂葵町は本学発祥の地として記憶にとどめられ、現在に至るまで校章に葵の葉がデザインされているほか、同窓会組織である「葵友会」をはじめ、本学に関係する団体や施設の名称には「葵」の文字が織り込まれることが多いのです。

経済人・大倉喜八郎の偉業

大倉喜八郎が創立し経営に腕を振るった企業には、今なお残っているものだけでも、大成建設、サッポロビール、帝国ホテル、帝国劇場、日清オイリオ、あいおいニッセイ同和損保、特種東海製紙、リーガルコーポレーション、ニッピ、日本化学工業、東京製綱、日本無線、本渓鋼鉄公司(中国)などがあります。

また、彼の寄付によって設立・運営された学校には、東京経済大学、関西大倉学園(大阪府茨木市)、善隣インターネット高等学校(韓国)があり、彼のコレクションによって開かれた美術館には、民間としては日本で最初の大倉集古館(ホテル・オークラに隣接)があります。

神戸市中央区に位置する大倉山公園は、神戸市に寄付された彼の別荘地であり、札幌のスキージャンプ台・大倉シャンツェ(現大倉山ジャンプ競技場)は彼の遺産で建設されました。

  • 大倉集古館

    大倉集古館

  • 関西大倉学園

    関西大倉学園

大倉喜八郎 略歴 (おおくら・きはちろう)

1837年(天保8年)9月24日、現在の新潟県新発田市に生まれる。
1854年(安政元年)17歳で江戸に出る。
その才を遺憾なく発揮し、商人として成功をおさめる
1873年(明治6年)大倉組商会を設立し、ヨーロッパをはじめ世界各国との直貿易に進出。
わが国における世界貿易の先駆けとなる。その後、東京電燈、帝国ホテルその他数多くの企業の設立に参画し役員に就任する。
1900年(明治33年)大倉商業学校(東京経済大学の前身)を設立。
1917年(大正6年)合名会社大倉組を持株会社とし、大倉商事、大倉土木(大成建設)大倉鉱業を直系3社とするコンツェルン機構を形成した。
1928年(昭和3年)4月22日没 享年92(満90歳)。

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