平たくいえば、「人間ってすごく多様だよね」ということから始まる学問です。現場に行ってフィールドワークをし、その場で見聞きしたことを通して、異文化の「ものの見方」を明らかにしていくのです。ただし異文化とは、そもそも自分たちの常識の外にあるもの。思い通りに進まないことも日常茶飯事ですが、それがまた面白く、この学問の醍醐味でもあります。
例えば、10年ほど前、南太平洋の島国ツバルで2年間のフィールドワークを行った時のこと。海面上昇により"沈みゆく島"について住人の考えを知りたかったのですが、当時の彼らにとって気候変動は身近な問題ではなく、宗教上の理由から信じていない人も多かったのです。やむなく調査は中断。手当たり次第に色々な話を聞いていくなかで、出会ったのが「首長制」でした。ツバルの首長は、国会議員などとは別格の伝統的に重要な存在であり、島の男性たちにとっては関心の的。しかも、マナという超自然的な力を備えた人物が首長になると、"島の天候や自然環境に恵みをもたらす"と信じられていることが分かりました。想定通りではなかったものの、自然に対するツバルの人々の「見方」の一端に触れることのできた貴重な経験でした。
文化人類学の世界では、2年間のフィールドワークを経て一人前、という不文律があるんです(笑)。それはともかく、たしかにそれなりの時間をかけないと成果を得られないという部分はありますね。ツバルでも、まず私の名前と顔を覚えてもらい、どういう人間かを知ってもらうところから始めました。もちろんツバル語も必死に勉強しました。
長らく現地に身を置くと、わざわざ人に話すまでもない(と相手が思っている)日常の営みや価値観にふと出会えたり、それまでの概念が覆るような発見があったりするものです。その瞬間が本当に面白い。時には、いつの間にか相手の価値観に巻き込まれていることもあります。例えば当時の僕は、一日中ココナツ集めをしたり、祭りの日にお祝いの料理を作って持ち寄ったりという共同作業に、当たり前のように参加していました。「誰もがコミュニティのために貢献する」という島の価値観に知らず知らずのうちに染まっていたようです(笑)。そういった経験は、自国や自分のアイデンティティをあらためて問い直すことにもつながります。
異文化研究といっても、対象は海外に限りません。自分とは異なるものの見方を知るという観点から、「ベジタリアン」「古着文化」「外国人観光客」「国際結婚」など、学生たちはそれぞれ関心のある多様なテーマに取り組んでいます。フィールドワークでは、ベジタリアンの会合に参加させてもらったり、国分寺の古着屋で取材をしたり、浅草で外国人観光客にインタビューしたりと、各自が工夫していますね。
自分は何に興味があるんだろう? 現場で何を見聞きすればいい? 問題意識を持つってどういうこと? 人に読んでもらえる報告書とは? と、学生はそれぞれの局面で苦労していますが、それでも「とりあえずやってごらん!」と放り出せば、皆ちゃんと結果を出してくれるものですよ(笑)。
ざっくり言えば、「優しく」「楽しく」生きていけるということでしょうか。文化人類学を通して色々な人のものの見方を知ることは、年齢、性別、国籍、家族のかたちといった様々な多様性を受け入れ、相手の目線に立って考えるということ。それは相手を想う優しさにつながります。
それともう一つ。皆さんの考える"当たり前"はこの世のすべてではありません。例えば、金銭的に貧しくても、時間にルーズでも、会社という存在がなくても、うまく生きていける社会は世界にたくさんあります。自分の置かれた状況を広い視野で捉えることができたなら、もっと心が軽く、楽しく、生きられる気がしませんか? それに、どこでもどんな状況でも僕らには学び取るべきことがあって、その学びは喜びと楽しさに満ちあふれているのだと、一人でも多くの学生に気づいてほしいと願っています。
※掲載されている教員・学生の所属学部・職位・学年及び研究テーマ等は、取材当時のものです。