日 時: | 2018年11月24日(土) 15:00開演 (開場/14:00) |
会 場: | 東京経済大学 大倉喜八郎 進一層館(フォワードホール) (〒185-8502 東京都国分寺市南町1-7-34) ※会場変更の場合があります。 |
参加費: | 無料 ※未就学児は入場不可。 |
定 員: | 先着300名(申込順に予約券を発送いたします) |
主 催: | 東京経済大学 大倉喜八郎記念東京経済大学学術芸術振興会 |
問い合わせ先: |
広報課 電話(042)328-7900 FAX(042)328-7768 Eメール pr@s.tku.ac.jp |
1900年(明治33年)5月4日、のちに東京経済大学となる大倉商業学校の創設者である大倉喜八郎、その妻徳子、嫡男喜七郎を乗せた客船エンプレス・オブ・インディアは横浜港からヨーロッパを目指して出航した。この年は、喜八郎にとって、長年の念願だった大倉商業学校開設が実現した年であると同時に、息子の喜七郎を英国ケンブリッジの名門校である<トリニティ・カレッジ>留学のために渡英させた記念すべき年でもあった。
ケンブリッジ<トリニティ・カレッジ>での喜七郎は、ロールス・ロイス創業者でもあったチャールズ・ロールズらを中心とした仲間たちの知遇を得て、世界で初めて開設されたカーレース場(英国,ブルックランズ)で、チャンピオンシップをかけた史上初のカーレースに出場。メカニックもマスターし、イタリアで調達した創業直後のFIAT社の車は、帰国時のお土産として持ち帰った。また、<トリニティ・カレッジ>のボート部のメンバーとしてボートレースにも出場するなど、ケンブリッジ時代の喜七郎の果敢な挑戦は、その後の近代日本の国際リゾートのパイオニアとしての事業活動や数々の社会的貢献や文化活動の出発点となったのではないか。
父喜八郎の長年の夢だった大倉商業学校が産声を上げた頃に、遥か離れた英国でチャレンジ精神を発揮した息子喜七郎が見た世界とは?20世紀初頭のケンブリッジで繰り広げられた喜七郎の桁外れの学生生活とヨーロッパ屈指の伝統校で得たかけがえのない友人たちと過ごした日々はどのようなものだったのだろうか。
栄えある名門校の扉をたたいた日本人留学生のパイオニア大倉喜七郎の<トリニティ・カレッジ>時代の足跡をたどる。
元ケンブリッジ大学図書館日本部長
1985年から2015年まで、ケンブリッジ大学図書館で日本語コレクションを担当した。著書は『ロンドン日本人村を作った男 謎の興行師タナカー・ブヒクロサン 1839-94』藤原書店(2015年)、『破天荒<明治留学生> 列伝』講談社(1999年)、『国際結婚第一号 明治人たちの雑婚事始』講談社(1995年)など多数。ケンブリッジ在住。
元東京経済大学学長、公益財団法人大倉文化財団理事長
東京経済大学コミュニケーション学部教授