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2021年度卒業式 学長式辞

学位記を授与された1,525名の皆さん、卒業おめでとうございます。皆さんの在学中における努力と熱意に心から敬意を表するとともに、明日へ向けて広がる夢と不安が同居する船出に応援のエールを贈りたいと思います。

人の人生には何回もの区切りがあります。小学校や中学校、高等学校の入学や卒業は皆さんの経験の中では一つの区切りだったでしょう。もちろん大学への入学はそれまでの思いとは違ったものだったでしょう。しかし、大学の卒業はそれまでの区切りとは大きく異なります。皆さんは、小学校から大学までは親や周りの人たちの庇護の下で教育を受ける立場でしたが、卒業後はこれまでに修得した知的・身体的財産を元に周りの人たちや社会に還元する立場になります。したがって、これからは人から何かをしてもらうのではなく「してあげる」側に立つのだと、気持ちを180度切り替える必要があります。

このような人生の大転換を迎える皆さんに対して、私は過去3回の卒業生式辞において、卒業後は社会のさまざまな分野で積極的な社会貢献をしてくださいと述べてきました。また、日々の仕事に真剣に向き合い、「会社や職場との一体感」を持ちながら仕事に取り組んでくださいと述べてきました。同時に、自分の利益や会社の都合を優先するあまり倫理感まで喪失してしまうことがないように、より広い視点から物事を見る目を養い、「理想」や自分の中にある「良心」と照らし合わせて自己の行動を律して行ってください、と述べてきました。

これらは今なお私が皆さんに伝えたいと思うメッセージの核心部分ですが、本日は、皆さんが社会人として生きていくうえで大きな指針となりうると最近私が思うようになった言葉を「はなむけの言葉」として贈りたいと思います。その言葉とは、「人間到る処、青山有り」という言葉です。漢字では「人間到る処、青い山あり」と書き、「じんかんいたるところ、せいざんあり」と読みます。

1968年の本学色川ゼミによる五日市憲法の発見時に色川ゼミに所属し、のちに国立民俗学博物館の研究員を経て専修大学文学部教授を務められた新井勝紘さんは、昨年9月に逝去された色川大吉先生についての追悼文「歴史の枠を越えた思想家・色川大吉」の中で次のように述べられています。

大学への転職時にもらった色川先生からの忠告は守れなかったことが多い。ただ新井ゼミでは、卒論を控えた4年生限定の報告会を我が家で行った。指導教授の自宅に招かれての会話や食事に刺激と充実感を得た私の体験から実践したことだった。また卒業生に「人間至る処、青山有り(僧月性)」と自筆した色紙を贈ったが、実はこの言葉は、私が色川ゼミの卒業時に、先生からいただいた言葉であった。骨を埋める覚悟で最善を尽くせと理解したが、さすがに在命中は恥ずかしくて言えなかった。

この色川先生が新井さんはじめゼミ生に贈った「人間到る処、青山有り」という言葉は、幕末期の尊皇攘夷派の僧、釈月性の「将に東遊せんとして壁に題す」という詩の中の一節です。

男児 志を立てて郷関を出づれば
学 若し成る無くんば死すとも還らず
骨を埋むるに 豈に惟だ墳墓の地のみならんや
人間 到る処 青山あり

歯切れの良い響きですが、意味も明瞭です。男児たるもの、志を抱いて故郷を離れたからには、大成するまで死んでも戻らない気概を持たねばならない。故郷だけが墳墓の地ではない。世の中のどこで死んでも、骨を埋める場所ぐらいあるのだ。

この詩は、戦前の中等学校漢文教科書にしばしば掲載され、未来へ夢を抱く志高き若者を鼓舞する一節として今日に至るまで広く世間に知られています。

私は昔からこの「人間到る処、青山有り」という言葉が好きでした。この言葉がもつ楽天的な響きが何よりも好きでした。世界は広く可能性に満ち溢れているというイメージが湧いてくるからです。確かにこの言葉は一般的には、「いろんな世界に進出し、何事にも死ぬ気で当たってチャレンジして、大望を成し遂げよ」と若者を鼓舞する言葉として解釈されてきました。若い時期の新井さんもそのように解釈したように思われます。しかし、どこにでも死に場所があるということは、同時に活躍の場もたくさんあるということを意味します。すなわち、チャンスはいくらでもあり、たとえ失敗しても、また初期の目標に到達できなくとも、諦めることなく何度もチャレンジが可能だということを意味します。

またこの言葉は、ややもすると狭い考えや視野に閉じこもりがちな私たち人間に対して、もっと広い視野に立って自分がもつ可能性や潜在能力を信じて生きていこう、と示唆しているように思われます。そういう意味では、最近フェミニスト等によって再び脚光を浴びるようになった作家石坂洋次郎が戦前に書いた小説『若い人』の中で、皆さんのような若い人に向かって述べた言葉と相通じるものがあります。

それは「小さな完成よりもあなたの孕んでいる未完成の方がはるかに大きいものがあることを忘れてはならないと思う」という言葉です。今も秋田県横手市にある横手城址公園の文学碑に刻まれています。皆さんはこの言葉の響き、そしてそこに込められたメッセージをどのように感じますか。

私は、これは大変重要なメッセージだと思っています。私は、石坂洋次郎の言葉にあるように、本学を巣立つ若い皆さんに「小さな完成でなく未完成の自分を大切にせよ」と述べたいと思います。私自身、大学院時代に恩師から「完成された職人としての財政学者を目指すよりも、時間はかかっても広い視野に立つ政治経済学者を目指してほしい」と言われたことがあります。今となっては、この恩師が述べた言葉の真意が大変よく理解できます。学問をじっくりとやっていく、長期にわたって自分の研究を続けていくには、このような心構えこそが重要なのです。

本学を巣立つ皆さん、人生の門出に際して、不安は誰にもあります。しかし、「人間到る処、青山有り」です。皆さんの活躍の場はいたる所にあります。環境がどのように変わろうとも、不安に押しつぶされることなく、そして何事も決して諦めることなく、自分の可能性を信じて、明るく前向きな気持ちでおおらかに歩んで行ってください。そして、少し疲れたなと思ったときには、いや懐かしく思ったときにはいつでも、皆さんの「母なる大学」母校東京経済大学に帰ってきてください。

私たち教職員はいつでも卒業生の皆さんの訪問を喜んで迎えたいと思っています。

2022年3月23日 東京経済大学学長 岡本英男