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2024年度卒業式 学長式辞

卒業おめでとうございます。皆さんの在学中における努力と熱意に心から敬意を表するとともに、明日へ向けての皆さんの船出に応援のエールを贈りたいと思います。本日、春の眩い光のなかで、令和六年度の卒業式が対面で執り行われることは私たち教職員にとっても大きな喜びであり、心からお祝いを申し上げます。

私は昨年の卒業式で「共感力」をテーマに話をし、「卒業後も皆さんの持ち味の共感力に一層の磨きをかけて前向きに生きていってください」というメッセージを贈りました。本日は、私がこの間ずっと考えてきた「働くことの尊厳と仕事を通じての社会貢献」をテーマとしたお話をしたいと思います。

ここに列席されている皆さんのほとんどは4月から会社に入り、新入社員として新しい仕事に取り組むことになります。皆さんを待ち受けている仕事、そして職場について、皆さんは今どのような思いを抱いているでしょうか。

私が最も尊敬する経営者の一人であり、「かんてんぱぱ」ブランドで知られる伊那食品工業を超優良企業に育て上げられた塚越寛さんは、若い頃を振り返り、働けることのありがたさについて次のように述べています。

私は父親が早くに亡くなり、戦後の貧しい時代に、母は女手一つで私を含む五人の子供を育ててくれました。当然、とても貧しい少年時代を過ごしました。やがて、アルバイトをしながら長野県伊那北高校に進んだのですが、栄養不足と過労が祟って結核を患い、やむなく高校を二年で退学して入院することになります。それから闘病生活が三年半続きました。入院中、屋外を歩く人を見ただけで、それができなかった私は「外を歩けるのは幸せなことなんだ」と気づきました。

そんな青春時代を送ったため、退院後、地元の木材関係の会社に就職したときには、飛び上がるくらい嬉しい気持ちになりました。仕事の種類も内容も関係ありません。ただただ「就職できたんだ。働けるんだ!」という幸福感を味わっていました。

皆さんが社会に出て、仕事がつまらなく思えるときには、「元気に働けるだけで、それができない人よりは比較にならないほどありがたい」というこの塚越さんの言葉を思い出してください。

仕事と充実した人生の関係について考えるとき、皆さんにぜひ知っておいていただきたいと思うもう一人の方と言葉があります。それは、知的障害者雇用のモデルとなったチョーク工場で長きにわたって社長・会長を務められた大山泰弘さんの言葉です。大山さんは著書『「働く幸せ」の道』のなかで次のようなことを述べられています。

一般に、知的障害者は健常者に劣ると見られているかもしれません。しかし私は、彼・彼女らから、人生にとって大切なことは何か、人はいかに生きるべきかといったことを教えてもらってきたのです。彼らか教わった大切なことのひとつは、「働く」ことの意味です。人間の幸せは、働くことによって手にいれることができる。このシンプルな真理に気づかせてくれたのは、彼ら知的障害者でした。

「上手にできたね」「頑張ったね」と褒められ、「ありがとう」と感謝され、「君がいないとみんなが困る」と必要とされたときの彼らの輝かんばかりの笑顔。嬉しそうでもあり、誇らしそうでもあるその表情は、私に大切なことを教えてくれたのです。人は仕事をすることで、褒められ、人の役に立ち、必要とされるからこそ、生きている喜びを感じることができる。家や施設で保護されているだけでは、この人間としての幸せを得ることができない。だからこそ、彼らは必死になって働こうとするのです。働くことが当たり前だった当時の私にとって、この幸せは意識したことすらないものでした。

このような経験から大山さんは、仕事でいちばん大切なのは「働く幸せ」であり、会社とは社員に「働く幸せ」をもたらす場所であるべきだと考えるようになります。そして、人間の本当の幸せとは、衣食住が満たされる生物的幸せだけではなく、人から必要とされ、役に立つことによって得られる心の幸せとが両方揃ってこその幸せなのです、と確信するようになります。このような大山さんの考え方は、「人が幸せになるいちばんの方法は、大きな会社をつくることではありません。お金を儲けることでもありません。それは、人の役に立って人から感謝されることです」と明言する伊那食品工業の塚越さんの考えと重なります。

私もまた、「有益な仕事は、例外なく、すべての人々の心身の健康のために、したがって彼等の幸福のために、必要欠くべかざるものだ」というカール・ヒルティの言葉には真実があるとずっと思ってきました。したがって、本来、仕事でいちばん大切なのは「働く幸せ」であるべきだと思っています。もちろん、この理想を実際のものとするには、利益第一主義で「働く幸せ」を度外視してしまうと、会社が永続的に発展する力が失われてしまうと考える大山さんや、企業価値を測る物差しは「社員の幸せ度」であると明言する塚越さんのような優れた経営者の存在が不可欠なのですが、同時に働く側の高い労働意欲、仕事に対する前向きの姿勢も重要です。

私は、本学を卒業されるすべての皆さんが、自分に与えられた仕事に、真面目に、地道に、誠実に取り組み続けるなかで、仕事と職場が好きになり、職場の誰からも愛され信頼される存在になることを強く願っています。

それでも中には、そして時には、「希望の部署には配属されなかった」「望まない異動を命じられた」「苦手な上司の対応に困っている」という状況に直面するかもしれません。しかし、そこで、「こんなはずじゃなかった」と悲観しても何も生み出すことはできません。それよりも、今いる場所で精一杯、人のために動いてみることです。望んだ仕事ではなくても、周りの人が喜んでくれるように頑張っているうちに、その仕事の面白さがわかるようになります。

また、自分が受け持つ仕事だけを見つめていると、全体が把握できず、自分はいったい何をやっているのかが、わからなくなってしまうことがあります。自分の担当する仕事の意味がわからなければ、その重要性も感じられなくなり、ひいては仕事に対する熱意と責任感も薄れてしまいがちです。このような事態に陥らないために、皆さんには担当する仕事の意味や自分の役割をしっかりと自分の頭で考えていただきたい。自分の仕事と社会との接点に目を向けていただきたい。周囲の社会とまったく繋がっていない仕事はこの世に一つもありません。どんな仕事も何らかの形で社会に役立つことをめざしています。

このことの理解が深まれば、自分は仕事を通じて社会に貢献しているんだという自覚が生まれ、皆さんの仕事に対するモラールは高まり、仕事への愛着はいっそう強化されます。また高いモラールを持って働けば、周りにいるすべての人たちに幸福感を与えることができます。ですから、私は、誰もが誇りを持って働ける社会こそが健全な社会の基本だと考えています。

私は今年度もまた学長ゼミにおいて、週1回学生と一緒にアメリカの政治哲学者マイケル・サンデルの著書を読んできました。サンデルは、世界的な格差拡大、政治における左右の対立の激化、それらの象徴とも言えるトランプ政権の再来について次のような診断を下しています。

この4050年間にわたる新自由主義的なグローバル化は、トップ層に大きな報酬をもたらした一方、平均的な労働者には賃金の停滞と雇用の喪失をもたらした。そうしたなか、エリートが自分たちを見下し、自分たちの日々の仕事に敬意を払っていないという労働者の憤りが、トランプの成功の根本にある。人々は疎外感と、政治に声が届いていないという無力感に苛まれてきたのであり、トランプはその憤怒につけ込んだのである。だからこそ、労働の尊厳の回復が極めて重要となる。

それでは、市場を万能視する能力主義のイデオロギーを克服し、働くことの尊厳を取り戻すには、どうすればいいのでしょうか。サンデルはそれについて次のような示唆を与えています。

私たちはこの間、あまりにも「消費者」のアイデンティティに囚われすぎていた。今や、人々を「生産者」としてとらえ直す時期に来ている。このことは、良質な雇用を維持するという意味で経済的に重要なだけでなく、「労働の尊厳」の観点からも、政治哲学上からも大切である。自らを消費者とだけ考えていれば、単に安い商品を追い求めるだけになってしまう。しかし、自らを生産者として位置付けるとき、自分の仕事や育んでいる家族、奉仕する地域社会を通じて、私たちは共同体の『共通善』に貢献する役割を担っているということに気づく。それが国づくりにもつながるのならば、私たちは単なる消費者ではなく、政治的な発言権をもつ『市民』なのだと考えられるようになる。それは、政治的な無力感の克服、そして社会の道徳的土台の再構築につながる。

本学を卒業される皆さん、4月から皆さんは社会に貢献する「生産者」であり、政治的な発言権をもつ「市民」だと自覚して生きていってください。

最後に、私が愛読するカール・ヒルティの古典的名著『幸福論』からの言葉を皆さんに贈ります。この言葉は、「AIの時代」と言われる現在にこそ、私たち誰もが心すべき言葉だと私は思っています。

「未来は働く人のものであり、社会の主人はいかなる時代にも常に勤労である。」

2025年321日   東京経済大学学長 岡本英男