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2024年度入学式 学長式辞全文

東京経済大学に入学された皆さん、おめでとうございます。キャンパスの桜が開き始め、やがて眩い新緑の季節を迎えようとする、この美しいよき日に新しいメンバーを迎え入れることは、私たち教職員にとっても大きな喜びです。本学の教職員を代表して心からお祝いを申し上げます。

本日は本学の新しいメンバーとなられた皆さんに、ぜひ知っておいていただきたいと私が考える本学の歴史と、入学後の心構え、とりわけゼミの大切さについて述べさせていただきます。

本学は、一代で財閥を築き上げた大実業家大倉喜八郎が1900(明治33年)年に赤坂葵町に創設した大倉商業学校を淵源としており、今年で創立124周年を迎えます。その歴史は、戦前の経済・商業系の専門学校から戦後大学に昇格した同種の大学に比べても群を抜いて長く、新入生の皆さんもこのことを大いに誇りに思ってください。

誇りにすべきは歴史の古さだけではありません。創立者の大倉喜八郎は言うまでもなく、本学創立委員の陣容と学校設立動機の志の高さもまた特筆すべきものでした。まず、学校設立発起人の顔ぶれですが、元陸軍軍医総監の石黒忠悳、日本資本主義の父と呼ばれ今度新一万円札の顔となる澁澤栄一、帝国大学初代総長の渡邊洪基といった、いずれも当時の各界を代表する最高クラスの人々でした。

澁澤・渡邊・石黒の発起人3名によって書かれた「大倉商業学校設立趣意」(明治31年5月24日)が示すように、本学の創設には、自らの体験を通じて、明治32年から施行されることになる治外法権撤廃、内地雑居を前にして、日本の商工業が欧米諸国に伍していくには、堅実な品性を有し新しい商業知識を身につけた人材の育成が不可欠である、という喜八郎の強い信念がこめられていました。当時の日本が抱える大きな課題に正面から答えようとする喜八郎の強い意思、さらに創立者・創立委員たちの類い稀なDNAをもって生まれた大倉商業学校は、その後多くの優れた人材を輩出し、20年後に高等商業学校に昇格し、誰もが認める私学高商の名門校として発展してきます。

しかしこのような順調な発展は、戦争と敗戦を契機に一転します。戦時中に大倉経済専門学校へと名称変更した本学は敗戦間際に米軍による空襲を受け、校舎の大半を焼失します。その後、大倉経済専門学校はいま私たちが立っている国分寺の大倉系企業の工場跡地に移転し、総勢わずか600名の教職員と学生でもって再出発を図ることになります。その頃の本学の様子を『東京経済大学80年史』は「さながら大海のまっただ中で荒波にもまれる小舟のようだった」と表現しています。というのは、創立以来基金として保有されてきた公社債は敗戦とその後のインフレによってほとんど無価値になり、もはや基金として用をなさなくなり、しかも財閥解体の影響で創立者大倉家の支援を期待できなくなったからです。

しかし、このような困難な中、本学は自立再建の方向を目指します。国分寺キャンパスは、外見上はみすぼらしい姿でありましたが、やがて生き生きとした学園らしい雰囲気に満たされるようになります。大学昇格はこの時期の教職員と学生、そして卒業生の一致した目標でした。大学昇格に向けた全学の一致協力ぶりを何よりも象徴的に示したのは学生による寄付金活動です。1948年6月の学生大会は、全学生が夏季休暇中にアルバイトや募金活動によって一人当たり3,000円をつくりだして大学昇格のための資金として寄付することを決議いたします。教授会は学生がアルバイトを行うために夏季休暇の3カ月間延長を承認し、さらに募金活動への協力よって学生の意志にこたえ、このようにして当時としては高額の目標が達成されました。

私は、敗戦後の国分寺キャンパス移転後の1948年6月の学生大会における学生決議を頂点とする学生、教職員、卒業生の学園の再建と大学昇格に向けた一致団結ぶりを、イギリスのダンケルク精神になぞらえて「東経大のダンケルク精神」、「東経大スピリット」と呼んできました。新入生の皆さんにも76年前の先輩たちの愛校心あふれる行動とスピリットを心に刻んでほしいと願っています。

次に、入学後の心構えについてですが、皆さんには「大学という恵まれた学びの場に身を置くことのできる状況」を大切にしながら、学生の本分である「学び」を生活の中心に置いてほしいと願っています。これは1980年に本学を卒業された皆さんの先輩であり、現在セブンイレブンジャパンの社長を務められている永松文彦さんの言葉でもあります。永松さんは、学生時代を振り返ってみて、もっと勉強しておけばよかったと思うことばかりと述べられています。私もまったく同感であり、このことに関連して、皆さんには、大学時代における学びの重要性を説いた古典的名著として、増田四郎先生の『大学でいかに学ぶか』を推奨したいと思っています。

著者の増田四郎先生は一橋大学の学長を務められたのち、1970年に本学の教授として赴任され、1979年から11年間本学の理事長として活躍された方です。『大学でいかに学ぶか』は長い間多くの人々に読み継がれ、多くの学生に影響を与えてきました。例えば、本学経営学部を卒業された皆さんの先輩で現在NHKのアナウンサーとして活躍されている古谷敏郎さんは、この本を読み、「このような素晴らしい先生がいる大学で勉強したい」と思い、本学を受験したと述べられています。

私自身もこの本に、そして増田四郎先生の生き方と学問への姿勢に感銘を受け、学長になってからも何度も読み返しました。とくに私が共感するのは、この本が大学におけるゼミの重要性、対話での学びの重要性、そこでの人間的触れ合いの重要性を経験に基づきながら説得力あるかたちで訴えているところです。増田先生は次のように述べられます。

勉強を進めていくには、また、よい実りのためには、人との接触ということが、きわめて大事であると思います。そして、大学での学問というものには、講義も大切であるけれども、やはり、研究会やゼミナールという制度が、なんとしても大切であると痛感しています。大学が大学らしくなればなるほど、ゼミナール制度というものの長所が発揮できるような設備が必要なのです。ゼミナールというものは、厳しい訓練を受けるということなのですが、しかしただ厳しいだけのものではありません。それは、ひとりの尊敬する教師との個人的な接触・交流を通じて、何かを学ぼうということなのです。それが、ゼミナールというものの大きな長所です。

本学は、この書が述べているのと同じように、伝統的にゼミを重視してきてきました。このような本学の姿勢が実を結び、多くの成果を生んできました。その成果の一つとして、1968年の色川ゼミによる「五日市憲法草案」の発見をあげることができるでしょう。この憲法草案の発見過程とその内容、そしてそれがもつ歴史的意義については、色川ゼミの卒業生で憲法草案を、深沢家の土蔵で最初に手にした新井勝紘さんによって生き生きと描かれていますので、ぜひ皆さんも岩波新書として出版されている『五日市憲法』を手にとって読んでみてください。

なお本学のゼミの特徴として、教師と学生の距離の近さ、人間的触れ合いをあげることができます。そのことは、本日紹介する二人の先輩の言葉からもよくわかります。

最初は、私が昨年秋のホームカミングデーにてお話をした昭和38年に本学を卒業した皆さんの大先輩の言葉です。農業経済学の井野隆一ゼミ出身の丹野弘三さんはゼミの思い出を次のように述べられています。

母校での2年間のゼミ活動(サブゼミを含めて)は、知識ばかりでなく、新しいことへの挑戦と共に、学び合い、教え合うことで多面的に広い分野を学ぶことができました。また少人数のゼミは、生涯の師とゼミ仲間との出会いの場であり、今日でも恩師とゼミ生の絆は深いものがあります。母校は大学ファミリーの絆を繋ぐ心のふるさとです。

この丹野さんの言葉にあるように井野ゼミの絆は深く、井野先生が亡くなられたのちも7回忌、13回忌、17回忌、そして昨年は23回忌と記念の年に多摩墓地にある先生の墓前に集い、ゼミと先生の思い出を語り、交流を深めています。このような麗しい師弟関係が先生没後何年にもわたって続いていることは稀有なことですが、このような師弟関係の絆の強さも本学のゼミの特徴です。

皆さんに紹介するもう一人の先輩は、この3月に卒業したばかりの蓑部恭伽さんです。熊本出身の蓑部さんは、お世話になった高校の先生から「就職に強い大学」として本学への入学を薦められ、2年生から経済学部の石川雅也ゼミに入ります。石川ゼミでは他の4人の仲間と一緒に2022年に日銀グランプリに出場し最優秀賞を獲得します。その蓑部さんは、本学でのゼミの思い出を次のように語っています。

先生との距離が近いところが本学の良いところです。とにかくゼミが楽しくて充実した学生生活でした。高校時代以上に先生が親身に時間を惜しまず指導してくれました。おかげで大学に通うのが大好きになって、4年生になって卒業単位はもう全部取れているけれど、今日も大学に来てしまいました。

この蓑部さんの言葉にあるように、本学には「時間を惜しまず親身に指導してくれる」石川先生のような先生がたくさんいます。私自身、毎週水曜日の4時限目に「学長ゼミ」という名の自主ゼミを開催し、学生の皆さんと同じ本を読み、対話を重ねています。どうか皆さんも、自分が本当に興味のあるテーマのゼミに入り、教師との人間的接触の中で本当の力、そして人間力を身につけていってください。

式辞を終えるにあたって、最後にもう一度、皆さんの先輩である永松文彦さんの言葉を贈ります。

これからの世の中を動かすのは、若い人のエネルギーであり、発想力・行動力です。身の回りから世界規模の課題まで、常に視野を広く持ってものを考え、新たな世の中を創造していってほしいと願っています。

永松さんが皆さんに贈ったこの言葉は学長としての私の思いでもあります。皆さん、これからの4年間、本学の美しいキャンパスで、大いに学び、大いに交流し、大いに語り合いましょう。

2024年4月1日 東京経済大学学長 岡本英男