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その時、大倉喜八郎は
自らの信念で動いた!

約束を固く守り続け、「最も信頼される商人」へ!
「約束を果たさない日本人との取引は信用できない」と
ヨーロッパ人から批判が強まる中、
大倉喜八郎は自らの信念に従い「最も信頼される商人」になるべく動き出しました。

 
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うそ偽りのない
“正真正銘の商売”を実践。

1867年(慶応3年)、大倉喜八郎は31歳で神田に鉄砲店を開業します。20代の頃、開港した横浜を視察した際に外国の進んだ技術を目の当たりにし、そこに商機を見出していたからでした。当時の鉄砲商には儲けを優先するあまり、代金を支払わなかったり、取引時の約束を破る者もいました。「日本の商人は約束を果たさず、信用できない」というヨーロッパ人からの批判の声は、大倉翁の耳にも届いていました。そんな中で大倉翁は、うそ偽りのない“正真正銘の商売”を実践します。質のよい品物を仕入れ、必ず約束を果たし、真摯な値段で迅速な取引を続けました。すると「大倉との商売だけは大丈夫だ、心配ない」と大いに信頼を得ることになりました。

いかなる時も“責任と信用”を重んじる。

“責任と信用”を第一に考えた大倉翁の鉄砲店は評判を呼び、さらには大倉翁の読み通り時流にも乗り、みるみるうちに繁盛していきます。その後も幾多の事業を立ち上げ、一代で大倉財閥を築くなど日本の近代化を牽引しました。大倉翁は生涯を通じ、いかなる時も“責任と信用”を重んじましたが、それは18歳までに学んだ学問が大きく影響しています。その学問とは、石田梅岩を開祖とした実践的な思想「石門心学」で、商人としての倫理をはじめ、正直さや勤勉さ、倹約などの大切さを説いたものでした。大倉翁は儲けることよりも、第一に商売における信用や責任、努力を重視しましたが、それは若かりし頃のこの教えが精神的な支えになっていたからです。

最後の訓話に込められた、
揺るぎなき信念。

1928年(昭和3年)、大倉商業高等学校(東京経済大学の前身)の始業式で、当時92歳の大倉翁が残した最後の訓話があります。
「何事をなすにも、最も大切なのは信用である。しかし、信用を重んずるということは、口にすることは容易であるが、これを実行することは仲々難しい。実際、信用は急に出来るものではない。毎日毎日の仕事から、だんだんに出て来るものであります。即ち、自分の仕事に対して責任を重んじ、いったん口でいったことは必ず実行する、約束した以上は決して違わないということが土台となって、それから信用が生まれ出るのであります。」(一部抜粋・要約)
この3か月後、大倉翁は病気でこの世を去りました。しかし、大倉翁が信念とした“責任と信用”は東京経済大学の理念となり、現在まで脈々と受け継がれ、今でも在学生や卒業生の心の中に生き続けています。

大倉喜八郎の想いを受け継ぎ、
時代に先駆けて、動き続ける東京経済大学の教育システム。

在学中から“責任と信用”を重んじることができる人材を育成する「キャリア教育」。
社会人として必要な素養や心構えを、1年次から段階的に身につけることができます。


東京経済大学は、10万人を超える卒業生を輩出しており、同窓会組織「葵友会(きゆうかい)」と各業界の卒業生で構成する団体との活発な交流や、1年次からの全員面談と支援行事などを通じ、社会人として必要な素養や心構えを段階的に習得できます。在学中から“責任と信用”を重んじることができる人材を育成する「キャリア教育」が、高い就職実績にもつながっています。