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その時、大倉喜八郎は
世界に向けて動いた!

ロンドンに日本企業初の「海外支店」開設へ!
日本が世界市場で勝負するには、 外国との直接貿易へとシフトしなければ…。
そう強く感じた大倉喜八郎は、世界に向けて誰よりも早く動き出しました。

 
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民間人として初めて、
自費での長期欧米視察へ。

鉄砲店を開業し、幕末・維新の動乱に乗じて販売を拡大した大倉喜八郎。鉄砲商として世界市場に触れながらも、動乱後を見据え、新たな商機を見出します。それが貿易業でした。しかし当時の日本は、国内の外国人居留地でしか外国との取引が行われず、日本商人はなかなか利益を得にくい状況でした。そこで大倉翁は、外国との直接貿易を実現するにはまず、外国の市場をもっと知る必要があると考え、明治5年(1872年)に欧米視察へ出発。自費で長期にわたり海外視察した民間人は、このときの大倉翁が初めてでした。ヨーロッパ滞在時には、岩倉使節団の大久保利通や木戸孝允、伊藤博文らと日本商業の未来について熱く議論を交わすなど、約1年半にわたり大いに知識・見聞を広げ、翌年帰国します。

日本企業初の海外支店をロンドンに設置。

帰国直後の明治6年(1873年)10月、大倉翁は日本人による最初の貿易商社である「大倉組商会」を銀座に設立。世界市場を目の当たりにしてきた大倉翁は、諸外国との直接貿易実現に向け、新たな挑戦を始めます。そしてまず進めたのが、貿易ルートの確保でした。外国に自らの拠点が必要だと考え、明治7年(1874年)には、ロンドンに海外支店を開設。日本企業が海外に支店を開設したのは、これが第一号でした。その2年後には朝鮮釜山にも日本で初となる支店を開設するなど、積極的に海外事業を展開していきます。国内での居貿易が主流だった時代に、いち早く行動を起こし、外国との貿易ルートを開拓したことは、まさに画期的なことでした。

人のやらないことをやる
ベンチャー精神。

かつて横浜港で圧倒的な外国船を目の当たりにしたとき、“世界”を強く意識した大倉翁。外国の先進技術やスケールに決して臆することなく、それらを商機ととらえ、確かな準備とともに果敢に挑戦していきました。そんな大倉翁が、常に心に掲げていた言葉があります。「進一層」ーー “困難に出会ってもひるまずに、なお一層前に進む”という意味で、ベンチャー精神あふれる大倉翁の生き方そのものを表しています。現在、「進一層」は東京経済大学の建学の理念となり、新しいことに自ら積極的にチャレンジする力を養った多くの学生たちが、この言葉を胸に世界へと羽ばたき、現在もさまざまな国際舞台で活躍しています。

大倉喜八郎の想いを受け継ぎ、
時代に先駆けて、動き続ける東京経済大学の教育システム。

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「国際コミュニケーション学科」を開設するなど、
国際的に活躍できる人材の育成に力を注いでいます。


世界を目指す学生をバックアップするため、5カ月間の海外研修「グローバルキャリアプログラム」では大学が費用面もサポート。また、2022年にはコミュニケーション学部に、ヒト・モノ・コトの国際的な「移動/モビリティ」から現代社会を学ぶ「国際コミュニケーション学科」を開設するなど、国際舞台で活躍できる人材の育成に力を注いでいます。