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その時、大倉喜八郎は
社会のために動いた!

数々の公共事業に尽力し、「誰一人取り残さない社会」へ!
実業家として得た利益を、世の中にどう還元していくべきか…。大倉喜八郎は、数々の公共事業に尽力し、「誰一人取り残さない社会」の実現のために動き出しました。

 
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利益は独占せずに、
社会に還元すべし。

実業家として一代で財を成し、日本の近代化を牽引してきた大倉喜八郎ですが、同時に数々の社会公共事業にも貢献した人物としても知られます。大倉翁は「経済活動で得た利益は独占せずに、社会に還元すべき」という考えを持っており、生涯を通じて福祉・教育・文化事業に熱心に取り組みました。福祉事業では東京慈恵会、東京養育院、済生会への支援などで多大なる貢献をし、中でも盟友・渋沢栄一が院長を務めた東京養育院では自らも委員となり、生涯にわたり運営に協力しました。また文化事業においては、戦後の混乱のなか、日本の美術品の海外流出を防ぐために私財を投じてこれらを収集。1917年(大正6年)には日本初の私立美術館「大倉集古館」を開設し、50余年にわたり収集した文化財・土地・建物を寄付して一般にも公開しました。

信念なき慈善は、 人のためならず。

いかに社会公共に貢献していくかを考え抜いてきた大倉翁ですが、中でも慈善事業に対しては独自の信念を持っていました。「私は、真個の慈善は貧者に金を与うるにあらずして、独立の生活を与うるに在りと信じている。独立の生活を与うるには、独立の職業を与うるに在りと信じている。独立の職業を与うるには、まず彼等を教育するに在りと信じている」。この信念に従い、大倉翁は教育事業に大いに情熱を注ぎます。1900年(明治33年)の大倉商業学校(現・東京経済大学)の創立からはじまり、大阪大倉商業学校(現・関西大倉学園)や善隣商業学校(現・韓国善隣インターネット高等学校)を創立。これらに大倉翁が投じた私財は、現在の価値に換算すると約100億円にも及ぶと言われています。この他にも商法講習所(現・一橋大学)、工手学校(現・工学院大学)、同志社学院(現・同志社大学)などの設立にも支援・協力を行いました。

誰一人取り残さない
社会を目指して。

大倉翁は社会公共に対し、時に惜しげもなく私財を投じました。それらはいずれも若かりし頃に、石田梅岩を開祖とした実践的な思想「石門心学」で学び身につけた商業倫理が影響しています。事業で社会的徳を積み重ねること、世のため人のために尽くすこと、それらに喜びを感じていた大倉翁だからこそできた行動に他なりません。そしてそれは、今まさに世界がSDGs(持続可能な開発目標)として掲げている「誰一人取り残さない社会」の実現にも通ずる姿勢であり、もしかしたら当時の大倉翁も、同じ志を抱いていたのかもしれません。その想いを受け継ぎ、社会に貢献する大学を目指す東経大では、2021年4月に「東京経済大学SDGs宣言」を策定。大学が所在する地域との関係を重視し、持続可能な社会の実現に向けて、地域との連携、地域への貢献についての取り組みを積極的に進めています。

大倉喜八郎の想いを受け継ぎ、
時代に先駆けて、動き続ける東京経済大学の教育システム。

新しい生活様式、新しい地域主義のあり方を考え抜く東京経済大学の「国分寺学派」。
持続可能な社会の実現に向けて、学生や国分寺市に住むみなさんと共に歩んでいきます。


社会に貢献する大学を目指す東経大は2021年4月に「東京経済大学SDGs宣言」を策定しました。「国分寺学派」の立ち上げとあわせて、これからの社会課題に取り組む教育・研究をより一層推進していきます。